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ベッドの上に寝転がり枕下に本を広げる。 いつ果てるとも知らない白紙の祈祷書との睨めっこ。 必要最低限の時間を除いて全ての時間を詔の作成に当てている。 しかし、それでも一向に節どころか句さえも思い浮かばない。 そして、ついには睡眠時間を削っての作業に入っていた。 眼は虚ろ、髪を振り乱し、かつての麗しい彼女の姿は失われていた。 そんな状態でマトモな詔が浮かぶ筈はないのだが、 今の彼女にはそんな単純な判断も出来なくなっていた。 まずは四大系統に対する感謝の言葉を韻を踏みながら詩的に表現。 要は各系統のイメージを形にすればいいのよね。 えっと…火は熱い、水は冷たい、風は涼しい、土は固い。 思いついた通りにノートに書き記してからビリビリと破り取る。 書いている時は気付かずとも再度目を通すとダメなのがすぐ分かる。 いわゆる客観的な視点というヤツだろうか。 いや、それ以前に書いた内容が子供の作文以下っていうのはどうだろうか。 そもそも四大系統に対する概念が曖昧すぎる。 もっと身近にいる人物の系統でイメージすればいいのだ。 そう、例えば…風は無口、火は色ボケ、水は色ボケ、土はただのボケ。 あ、火と水が被った。それに、これじゃただの悪口にしかなってない。 何で私の周りにマトモな人間はいないのだろうと、ぶつくさノートを破きながら文句を呟く。 そもそも人で考えるからおかしくなるのだ。 純粋に系統だけで考えるなら使い魔の方が適任だ。 よし、なんとなくイメージが沸いてきたわよ。 火はきゅるきゅる、風はきゅいきゅい、水はげこげこ、土は…もぐもぐ? って、これじゃあ鳴き声を並べただけじゃない! こんなの提出したら末代まで笑いものになるわよ。 よし、気を取り直して再挑戦。 火は影が薄い、風は皆の馬車代わり、土は…。 そこまでノートに書き留めて破き捨てる。 そうよね。マトモじゃない主人の使い魔だもの。 ああ、私ってばなんて巡り合わせが悪いのかしら…。 「火はボウボウ、水はバシャバシャ、風はビュウビュウ、土は……」 壊れかけた言動を繰り返すミス・ヴァリエール。 それを遠見の鏡で見ながらオスマンは溜息をついた。 やはり早めに伝えておいて良かった。 あまり詩的な表現は得意そうではなかったので考える時間を多くしたのだが、 缶詰になった所でいい詔は生まれまい。 せっかく時間があるのだから使い魔と気分転換にでも行ってくれば良かったのだが。 不安を紛らわすようにオスマンは一人パイプを吹かす。 それを咎める秘書は今はいない。 生徒達が里帰りしている間もミス・ロングビルは残っていた。 彼女の故郷がどこにあるのかは知らないし、 ミス・ヴァリエールのように帰りづらい理由もあるのかもしれない。 しかし、ずっと働き詰めというのは酷と気に掛けていたオスマンは彼女に休暇を勧めた。 だが、まだ決心はつかないようで彼女は学院に残っている。 落ち着かないんで、とりあえず秘書の仕事の方は休んで貰っているが。 そして同様に休暇を勧めたミスタ・コルベールは、 かねてから予定していた秘宝探しの旅に出て行った。 時間がないからこそ気分転換を味わって貰いたいものだ。 しかし宝探しとは、子供心というのはいくつになっても変わらない。 儂も若い頃は冒険に心を躍らせたものだ。 群がるドラゴンどもを千切っては投げ千切っては投げの大活躍。 それを自伝にしたら全63巻ぐらいはいくんじゃなかろうか。 題して『オスマンの奇妙な冒険』。 むむ、なんだか爆発的ヒットの予感がしてきたぞ。 思い立ったが吉日。さっそく執筆に取り掛かったオールド・オスマンが、 自分の文才の無さに気付いたのは数時間後に文章を読み直した時の事であった。 「…くぅん」 タルブ村に向かう馬車の中で彼が切ない声を上げる。 果たしてルイズは大丈夫なのだろうか。 朝一人で起きれるのか、ちゃんとご飯は食べているのか、色々と不安で仕方なかった。 なんか主と使い魔の立場が逆転してるが気のせいだろうとデルフは黙する。 「もうすぐですから我慢していてくださいね」 それを馬車旅に飽きてしまったと勘違いしたシエスタがフォローする。 まあ、それも間違いではない。ここ最近、馬車での移動が多かったのも確かだ。 風を切るように飛ぶシルフィードの背と違い、ゴトゴト揺られて走る馬車はどこか好きになれない。 ずっと前、まだ向こうにいた頃にもこうして運ばれていた。 窓も無い鉄の車両の中、自分は檻に入れられて何も分からないまま連れて行かれたのだ、 あの冷たく無機質な研究所の中へと…。 電車がレールの上しか走れないように、自分の運命も定められていた……この奇跡が起きるまでは。 「あ。見えましたよ! あれが私の故郷です」 シエスタの言葉に反応しピクリと耳が動く。 ようやく辿り着いたタルブ村は本当に田舎だった。 しかし彼にとっては物珍しく、それに何故だか心が和んだ。 シエスタと父親が再会を喜ぶ横で、水を差さないように探索に乗り出す。 ふんふんと鼻を鳴らし、あちこちの匂いを嗅いで回る。 その彼の上に影が差した。 見上げればそこにはコルベール先生の姿。 だけど先生がこんな所にいる訳はないから良く似た誰かなのだろう。 世界には似た人が三人居るらしいし……あ、匂いまでそっくりだ。 「君はミス・ヴァリエールの使い魔の…。ここで何しているのかね?」 あ、声も似てる。それに自分の事も知ってるなんて、ますますコルベール先生そのものだ。 「相棒。長旅の連続で疲れてるのは分かるけどよ…そろそろ目を覚ましてくれ」 運ばれてきた鍋を囲みながら一行は歓談に沸く。 勿論、話題の中心はコルベールがここに来た目的についてだった。 「“竜の羽衣”ですか?」 「そうです。それを使えば自由に空を飛びまわれると聞き及んだので」 自分の問いに目を輝かせて答えるコルベールにシエスタが少し苦笑いを浮かべる。 彼の言う“竜の羽衣”とは自分の曾祖父の持ち込んだ物だ。 曾祖父は立派な人物ではあったが変わり者という認識は誰もが持っていた。 一度だけ“竜の羽衣”を見せて貰った事があったが、よく分からないガラクタだった。 そんな物を見せても落胆させるだけだとシエスタがやんわりと否定する。 「でも、アレはマジックアイテムとかじゃないですよ」 「…いや、だからこそ探しに来たんじゃねえのか?」 「はい。推察の通りです」 かなり省略したデルフの言葉をコルベールが肯定する。 意味が分からずシエスタは目を丸くさせる。 マジックアイテムでもなく、人間を自由に飛びまわらせるアイテム。 そんな物は“この世界”には存在しない。 だが、別の世界…相棒が来た世界ならばそういう物があってもおかしくはない。 そして、それに使われているのは魔法ではなく科学技術。 そこから得られる知識はコルベールにとっては何よりの財宝なのだ。 その隣で、彼はお椀に盛られた『ヨシェナヴェ』をガツガツと頬張る。 彼にとっては興味の無い話だったし、想像以上に料理は美味しかった。 しかし彼とは無関係な話ではなかった。 コルベールが注目したのはもう一点。 竜の羽衣の持ち主はそれを使ってこの世界に現れたという点だ。 彼や『異世界の書物』を初め、こちらに来るのは召喚されるケースがほとんどだ。 なのに、その人物は召喚されずに異世界から現れたのだ。 そこに彼を元の世界に帰す手掛かりがあるのではないかとコルベールは予想していた。 そして奇しくもその予想は的中する事となった。 「こちらです」 シエスタが案内する先には奇妙な形の寺院。 丸木を組んで形にしたような門。 何かで白く塗り固めた壁。 縄を巻いて左右に広げ紙を吊るした飾り。 なるほど。これならば風変わりな人物と言われるのも仕方ない。 今までに見た事もない物を拝んでいれば怪しまれるだろう。 だが、これが異世界の風習ないしは宗教だとすれば辻褄は合う。 期待を胸にコルベールは更に足を進める。 そして、不意に彼の足が止まった。 彼の眼前には緑に塗装された異形の巨体。 これを何と表現すればいいのかコルベールは思い付かない。 「相棒、これは……」 デルフの問いに答えず彼は機体へと前足を伸ばす。 確信があった訳じゃない、ただ漠然とした予感があった。 それを裏付けるように彼のルーンが輝き始める。 まるで自分の手足のように末端に至るまで意思が通る。 『零式艦上戦闘機』……それが“竜の羽衣”の正体だった。 「素晴らしい! つまり、これがあればメイジでなくとも空を飛べるのですね?」 「それがよ、相棒によると燃料…風石みたいなもんが無いから飛べないらしいぜ」 デルフの通訳を介し、目の前の物が空を飛ぶ機械と説明した。 コルベール先生が喜んでくれるのは嬉しいが、使い方が分かっても自分では動かせない。 てっきり失望するものだと思っていたコルベールだったが熱は収まるどころか激しさを増す。 「いやいや、これの動かし方さえ彼から教えて貰えば大丈夫。 燃料の方もまるっきり未知の物質という訳ではないようですから錬金で作り出せるでしょう。 それに飛べなくとも、ここから得られる技術はとても貴重な物ですよ!」 もう喜色満面のコルベールは買って貰ったばかりの玩具のように戦闘機を触りまくる。 正直、彼の技術に対する執着は凄いと思った。 彼なら必ずこの戦闘機を空へと運ぶだろう。 そして、いつの日か自分で飛行機を作り出し自由に舞うだろう。 それは人間にしか成し得ない偉大な奇跡。 ルイズとは違う人間の強さを垣間見た瞬間であった。 シエスタの父は呆気ないほど簡単に“竜の羽衣”を譲ってくれた。 価値の分からない人間が持つより分かる人間の方が良い。 それにシエスタを救ってくれた恩人へのお返しになるなら安い物だと笑っていた。 ただ祖父の遺言である“本来の持ち主への返却”は果たして欲しいと付け加えられた。 それにコルベールは同意し“竜の羽衣”は彼の手に渡った。 「ま、どうせ相棒には必要ない物だしな」 自慢の交渉術や唸るほどの金を保有していたデルフがつまらなそうに呟く。 それを聞き流しながら、彼は僅かな疑惑を感じていた。 何でそんな事を考えたのかは判らない。 ただ、なんとなく彼を見ているとそう思えて仕方がないのだ。 「ふう…ようやく運ぶ目処が立ったよ」 運搬の手続きを終えたコルベール先生が疲れたように隣に腰を下ろす。 その彼の顔を、伏せたままの姿勢で彼が見上げる。 確かに疲労の色は出ているが、それ以上に満足そうだった。 不意にコルベールが口を開く。 「知っているかい? 彼女の曾お爺さんはアレに乗ってやって来たんだ」 「………!」 彼の上体が跳ね起きる。 その言葉が秘める意味に彼もデルフも気付いたのだ。 だがデルフは口を挟まない。 コルベールは相棒に話し掛けているのだ。 そこに茶々を入れる余地など無い。 「こちらの世界に来た“竜の羽衣”は二つ。 一つは今、私達が持っている物。そしてもう一つは日食の中に消えたそうです。 もしかしたら…元の世界に戻れたのかもしれません」 かつてコルベールが言った言葉は実現しつつあった。 それが自分の為と信じ彼は力を尽くしてくれた。 喜ぶべき事だって分かってるのに何故か辛かった。 帰る方法など見つからなければ良いのにと思っていたのかもしれない。 そうすればこの世界にいる事を悩むなくて済むのに…。 苦悩する彼の心境を察してもなおコルベールは続ける。 「本当の事を言うと、これは私自身の為にしているんです。 私が君の元いた世界に行ってみたい…そんなワガママなんですよ」 何故?と不思議そうにコルベールを見つめる。 優しげな表情は変わらないのに、彼の顔がどこか悲しそうに映った。 「そうですね。君にとって此処は“楽園”なのかもしれない。 そんな場所から出ていくなんておかしいと思うのも無理ないでしょう」 心配しているように見えたのかコルベールの手が彼の頭を優しく撫でる。 ちょっと薬品の匂いがキツイ大きな手に視界が塞がれる。 むぅと少し離れようとした瞬間、冷たい声が響いた。 「でも此処は“楽園”なんかじゃないんだ」 背筋がゾクリと震えた。 最初は誰の声か分からなかった。 それが自分の良く知る人物から発されたとは思えなかった。 コルベールはそれだけ告げると背を向けて立ち上がる。 「次の日食までには“竜の羽衣”を飛べる状態にしておきます。 それまでに自分の答えを導き出してください。 最良の選択肢が常に最高の結果を招くとは限りません。 だからこそ自分の意思で、後悔のない選択を」 そのまま顔を見せることなくコルベールは立ち去った。 一人残された彼の頭に最後の言葉が残響する。 空を見上げる、そこにはもう馴染みになった二つの月が浮かんでいた。 今夜はやけに空が近くに見える。 前足を伸ばせば月にさえ届いてしまいそうだ。 自由がなかった頃は想像さえつかなかった。 どこにでも行ける事がこんなにも苦しい事だなんて…。 「……誰だい?」 自室で一人、退屈を満喫していたフーケが尋ねる。 無論、部屋には彼女以外誰もいない。 窓を開けると微かだった人の気配が濃密に変わった。 「流石は『土くれのフーケ』…いや、マチルダ・オブ・サウスゴータと呼んだ方が宜しいかな?」 「っ……! 姿も見せずにコソコソと、一体何の用だい!?」 風に乗って聞こえる声が挑発的に耳に響く。 熱くなっては負けなのだが、自分の通り名どころか本名さえ知られていた。 その事が彼女から冷静さを奪っていたのだ。 「これは失礼。夜分に女性の部屋を訪れるのはいささか無礼と思ったもので」 「はん! よく言うよ、勝手に女性のプライバシーを調べておいてさ」 悪態をついてみたが形勢は宜しくない。 わざわざフーケの名を最初に出したのは脅迫だ。 もし、ここで人を呼べば自分の正体を白日の下に晒す気だろう。 「争う気はない、君をスカウトしに来た。我々は優秀な人材を求めているのでな」 「お褒めに預かり恐悦至極、とでも言うと思った? どこの組織か知らないけど名前ぐらい明かすのが筋でしょうよ」 「これは重ね重ね失礼した。我々の名はレコンキスタ。その行動目的は……聖地の奪還」 その目的を聞いた瞬間、私は笑い飛ばそうとした。 まるで夢物語のような目標を、そいつは絶対の自信を持って告げたのだ。 それが熱意なのか狂気なのか判断は付かない。 ただ学院で腐っているよりは面白そうな気がした、それだけだった。 「はぁ……暇ね」 投げ出したノートを横目に見ながら、ごろりと寝返りを打つ。 気分転換にキュルケ達の所に行ったのだが皆、留守だった。 ギーシュはモンモランシーのご機嫌取りの為だろうけど他の連中は何してんだか。 少し前までの冒険の日々が懐かしい。 戻ってきたらまたどこか一緒に探検に出掛けようか。 その妄想もすぐに尻すぼみに消えていく。 理由は簡単。あいつが傍にいないからだ。 あいつが現れてから一人で過ごす事が無くなったからか無性に寂しさを感じる。 ふと思う。もし、あいつが元の世界に帰ってしまったらどうするのか? そしたら今居るキュルケ達とも疎遠になって一人ぼっちになってしまうのか。 「やめやめ」 枕を壁にぶつけて八つ当たり。 そんな事は有り得ない。 使い魔を帰す魔法なんて無い。 そんなものは悪い想像にしか過ぎない。 目を閉じて眠りに落ちようとする彼女の耳に窓が軋む音が響く。 「……嫌な音」 まるで嵐の前兆のような風の音に、彼女は何か予感めいた物を感じていた…。
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「船は出航できないのか?」 「風石の積み込みがまだです」 「必要最低限でいい、後は私の魔法で補う」 船員に手短に指示を伝えて甲板の上を見渡す。 そこにはワルドに命じられるまま準備を進める船員達の姿。 賊に狙われているという虚報、それが彼等を動かしていた。 言葉だけでは信じては貰えなかっただろうが、 街中で暴れ回るフーケのゴーレムを見た後なら話は別だ。 後少しでこの船は他の連中を置き去りにしてアルビオンに向けて発つ。 その予定だったのだが…。 (フーケの奴、しくじったな) いや、ミスではなく予定外の敵が現れたせいだ。 ゴーレムの周りを羽ばたく一匹の竜。 アレに邪魔されて足止めが出来なくなったと見るべきか。 偏在の眼がこちらに近づく彼の姿を捉えていた。 もはや出し惜しみしている場合ではない…! 「相棒、あの世界樹だ!」 デルフに言われるままに坂道を駆け上がってきた。 そして見えてきた物は一本の樹。 そこには果実が成るように船が停泊していた。 桟橋までの距離感が狂ってしまいそうなほどの巨大さ。 船は出ていない、まだルイズはあそこにいるのだ。 刹那、その彼の行く手を一陣の風が切り裂いた。 「な…!? 風のメイジか!」 デルフが驚きを隠せず声に出す。 咄嗟に足を止めた彼の眼前には地面に出来た裂け目。 土のメイジが岩より削り出した石床は固定化も掛けられている。 もし、これが人間相手なら鎧を着ていようが容易く両断されただろう。 視線を感じて彼が頭上を見上げる。 そこには薄っすらと浮かぶ重なり合う月を背にしたメイジの姿。 顔には白い仮面、手にはワルドと同じ戦闘用の杖。 風に外套をなびかせながら男は杖を下に向けて飛び降りる。 自重と風の加速を乗せた突きの一撃。 避け切れないと判断した彼は咄嗟に迎撃の構えを取った。 『シューティング・ビースス・スティンガー』 無数に放たれる針は地面に辿り着く前に男を焼き尽くす筈だった。 それが男を取り巻く風に散らされていく。 いかに勢いがあろうとも重さのない針では風の壁は貫けない。 剣と杖、互いの得物が相手へと向けられる。 交錯する一瞬、両者の間に鮮血が散った。 着地と同時に反転しワルドは彼へと振り返った。 ぽたりぽたりと零れ落ちる鮮血。 それは額を抉られた彼の傷口より落ちた物。 そのままエア・ニードルで脳を突き刺すつもりだった。 だが直前で自ら首を捻り突きを逸らしたのだ。 そんな判断を戦闘経験の浅い犬が出来る筈がない。 つまりは…これがガンダールヴの力か。 あらゆる武器を使いこなし達人の域に引き上げる伝説のルーン。 人間ならまだしも犬までもとは何とも規格外な代物だ。 もう少し深く踏み込んでいれば避けようはなかった。 しかし、それはこちらも同じか。 半ばまで裂かれた外套を邪魔にならぬように自ら破り捨てる。 完全に振り切られていれば両断されてもおかしくなかった。 辛うじて制したのは直線である刺突と曲線を描く斬撃の差のみ。 剣を咥えている相手には突きは出来ない。 純粋な剣技となれば僕に分がある。 加えて魔法を組み合わせれば敗北はない。 だが、それは相手がただの犬であったならばの話。 ワルドの眼前で彼の姿が変形していく。 金色の瞳を輝かせる蒼い異形の怪物。 異世界の錬金術師が創り出した狂気の産物にして、 文字通り世界を破滅へと導く魔獣。 その姿を前にして覚悟を決めた。 先ほどの攻防など前哨戦に過ぎない。 ……ここからが本当の勝負だ。 こちらの常識など何も当てには出来ない。 己が持つ全ての能力を駆使し討ち果たす。 最悪、時間稼ぎが出来るならそれでいい。 「バルバルバルバルッ!!」 バオーが吼える。 飛び掛る彼の両足には刃。 『リスキニハーデン・セイバー』 同時に迫る三本の刃を杖で受け流し捌く。 鋼鉄も切り裂く刃を相手にしても、 相手の杖が両断されないのは強度によるものではない。 刃筋を風でずらして受けているのだ。 その技量を間近で見たデルフは感嘆の声を漏らした。 相手は並のメイジではない。 しかし、それを言うなら相棒は並の生物ではない! 「くっ!!」 ワルドの足が徐々に後退していく。 既に次の魔法の詠唱を終えているというのに、 バオーの苛烈な攻めは彼に杖を振る暇を与えない。 普通の人間ならとっくに酸欠になっているだろう。 だが暴走した馬車のように相手は止まる事を知らない。 両足のセイバー・フェノメノンを受け止めた直後、 とん、と軽い音を立ててワルドの背が民家の壁に衝突した。 「しまっ……!」 逃げ場を失ったワルド。 そこに渾身の力を込めたデルフの横薙ぎが放たれた。 固定化を掛けた岩を裂きながら迫る刃を地に這い蹲り避ける。 続けて襲い来る前足のメルティッディン・パルムを躱し宙へと逃れようとした。 だがその刹那、縫い止められたように動きが封じられた。 見れば壁に突き刺さった刃を離し、自分の外套に喰らいつく怪物の姿。 目に映った光景に戦慄が走る。 「うおおおおおお!!」 瞬間、世界が凄まじい勢いで回転した。 まるで人形で扱うかのようにワルドを振り回す。 知らされていたが、これほどのパワーだったとは…! このまま叩き付けられれば壁面を彩る赤い塗料と化すだろう。 意識が吹き飛びそうな加速の中、咄嗟に外套を切り離し今度こそ宙へと逃れる。 そして民家の屋根に飛び乗ったワルドへと再び彼が襲い掛かる。 しかし、それは放たれたエア・ハンマーに弾き飛ばされた。 (……やはりそうか) 迫り来るバオーを迎撃しながらワルドは勝利を確信した。 彼の決定的な弱点、それは対空能力の低さだ。 空を飛べず、高く飛び上がれば無防備な姿を晒す。 その状態では魔法を避ける事さえ出来ない。 唯一の飛び道具である『針』も風に阻まれれば届かない。 火竜や風竜は彼にとって天敵となる。 「大丈夫か相棒!?」 壁に食い込んだままのデルフの下へと彼が歩み寄る。 剣を手にした所で今更この圧倒的優位は揺るがない。 そう思いながらワルドは眼下の敵を見下ろす。 しかし彼はデルフを引き抜かなかった。 前足を壁へと当てたまま動こうとしない。 何をしているのか?と疑問に思うも下手に動くのはマズイ。 誘っているのかもしれないと警戒しワルドは様子を窺う。 しかし突然、彼の足元がぐらついた。 安普請だったのかという考えは瞬時に否定された。 自分の足下だけではない、天井そのものが崩壊していく。 「まさか…!?」 フーケから聞かされた話を思い出す。 怪物の出す溶解液、それは触れている部分だけではなく全体にも浸透する。 奴はそれを利用して足場を破壊したのか。 触れてさえいれば城でも船でも溶かせるというのか。 何というデタラメ…! 崩れ落ちる民家から離れようとした直後、 剣を咥え弾丸のように迫る蒼い怪物の姿が目に入った。 フライもレビテーションも間に合わない。 咄嗟に受けようとした杖を両断しデルフリンガーが縦に一閃された…! 「っ……!」 偏在から送られてくる感覚が途絶えた。 その直後に見えた映像に自身が裂かれたような錯覚を覚える。 やはり想像以上に恐ろしい怪物だ。 万全の状態で挑んでいても勝てたかどうか…だが! 「…私の勝ちだ」 索を外され船が桟橋より離れていく。 空を飛べぬ身ではもはや追いつけはしまい。 そして私はアルビオンで手に入れる、ルイズと虚無の力を! 着けられなかった奴との決着はその時だ。 奴の弱点と急所を知った今では無敵の存在には成りえない。 次こそ確実に奴を討ち取ってみせる。 切り裂かれた男の身体が風と共に消える。 血飛沫どころか屍も残さずに消滅したのだ。 やはり人ではなかった。 彼は男から異質な感覚を感じ取っていた。 それはフーケの使うゴーレムに近い物。 人の姿を真似ていても人とは決定的に何かが違う。 だからこそ彼は躊躇なく破壊したのだ。 「これは偏在ってヤツだな、多分」 風のメイジが使う分身みたいなもんだ、とデルフは説明する。 それはつまり本体が別にいる事を意味する。 今度は勝てたが次はどうなるかなど予想は付かない。 だが、それは後でもいい。今は一刻も早く桟橋に…! そうして彼が目にしたのは桟橋より離れていく一隻の船。 他に船はない、ならばアレにルイズは乗っているのか。 雄叫びを上げるも届いているのかさえ判らない。 自身の跳躍力を以ってしても船に飛び移るのは不可能。 見上げた彼の視界の端に何かが映った。 それは天にまで届かんとする巨木。 …いや、まだ出来る事はある! 桟橋である世界中の根元に彼は走った。 それに遅れるようにアニエスも桟橋へと到着した。 彼女もまた去っていく船の船尾を見上げて下唇を噛む。 「くっ…間に合わなかったか」 ギーシュから託されていながら何たる体たらく。 次の便はいつになるか判らない。 再び彼女達と合流できるかは疑わしい。 (私にはこのまま見送る事しか出来ないのか) 悔しがる彼女の目に飛び込んできたのは見た事もない蒼い獣。 それを恐れて桟橋にいた連中は次々と逃げ出していた。 「あれも連中の手先か…?」 剣に手を掛ける彼女の下に獣は走り寄る。 来ると警戒した彼女に掛けられる親しげな声。 「よう! アンタも無事だったのか?」 「その声は…デルフか! だとするとコイツは…」 「相棒に決まってるだろ」 「………!?」 デルフの言葉にアニエスは驚愕した。 ただの犬ではない事は知っていた。 だが、目の前にいるのは正しく怪物。 こんな生物、彼女は見た事も聞いた事もない。 彼の変貌した姿に歴戦の勇士である彼女も怯んだ。 それを判ってか、それとも判らずにかデルフが続ける。 「俺達はあの船を追うけど、アンタはどうする?」 その一言で彼女は我に帰った。 たとえ、ミス・ヴァリエールの使い魔が何者だろうと関係ない。 彼等もまた私やギーシュと同じ任務を果たそうとする仲間。 今考えるべきはこれからの事だ。 つまらない事にこだわっている余裕はない。 「是非もない」 「よっしゃ! じゃあ相棒に掴まりな!」 言われるがままに彼の背に飛び乗り、しっかりと腕で身体に掴まる。 きっと振り落とされないようにしろという意味だろう。 (あれ…?) よく見るまでもなく彼には翼など生えていない。 それで一体どうやって追いかけるというのか。 その疑問は目の前で起きた大惨事に掻き消された。 ラ・ロシェールの象徴ともいえる世界樹が地響きを立てて傾いていく。 「な……なななな…!?」 「地盤は十分に溶けてたみたいだな、これなら行けるぞ!」 アニエスは知らない、この惨事を引き起こしたのは彼等である事を。 メルティッディン・パルムで樹の根元を既に溶かしていたのだ。 そしてアニエスを乗せたまま、樹の幹に飛び乗る。 「行くってどこへ!?」 「船の上に決まっているだろう」 「どうやって!?」 「どうって…飛ぶんだよ」 そこで二人の会話は途切れた。 樹の天辺を目指し彼は幹を駆け上がる。 瞬く間に彼は空気が壁と化す速度に到達した。 筋肉・骨格・腱に与えられた圧倒的な力。 それを総動員し彼は弾丸と化した。 そして助走をつけて空へと撃ち放たれる…! 「引き返して! まだ皆が…」 「落ち着くんだルイズ!」 船員に掴み掛かる彼女をワルドが止める。 涙ぐむ彼女の瞳を見て心苦しく思うが致し方ない。 これが最善の処置だったと自分を諭し説得する。 「君も判っている筈だ、これは任務なんだ。 優先されるのはその達成、他の事に構っている余裕はない」 「でも、それじゃあ…」 「彼等だってそう思っている筈だ。 ここで引き返すのは彼等の思いを踏み躙る事になる。 僕達には一刻の猶予だって残されていないんだ」 「……………」 それで納得してくれたのか俯きながらルイズは口を閉ざした。 彼女も判っているのだ。 今もフーケのゴーレムと戦っている友人達、 宿で足止めをしているミスタ・グラモンとアニエス。 彼女等が何の為に、誰の為に戦っているかという事を。 慰めようとルイズの肩に手を掛けようとした瞬間、轟音が周囲に響き渡った。 船に乗った誰もが甲板に上がり外の様子を窺う。 巨大な世界樹、ラ・ロシェールの桟橋が傾いている。 一体何が起きたのか戸惑う中、それは現れた。 桟橋の上を走る一匹の蒼い獣、その背には女性、口には剣を咥えている。 それを見ていた彼女の表情に喜色が戻る。 自分には見せた事がない本当の笑顔。 そして獣は飛んだ。 恐らくは誰もが目を疑っただろう。 羽ばたく翼も滑空する羽も持たずに宙を舞う。 そんな非現実的な光景を目にしているのだから。 だが、私はそれを受け入れた。 アレは自分の知る常識など通用しないのだ。 だから何が起きようとも驚く必要はない。 そういう生物なのだ、あれは…! 砲弾が描く軌跡のように彼は船上へと舞い降りた。 彼を迎え入れたのは恐怖に慄く船員達でも、 覚悟も新たに見つめるワルド子爵でもなく、 涙を零し自分を抱きしめてくれた主の姿だった…。
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ニューカッスル城のホールでは既にパーティの準備を終え、 主賓である皇太子を今か今かと待ち侘びていた。 貴族達は皆一様に着飾り、その顔から笑顔が尽きる事はない。 出された料理もこの日の為に取っておかれたのだろう、最高級の食材とワインが振舞われていた。 明日の死を覚悟し、彼等は今を精一杯楽しもうとしているのだ。 彼の目にはそれが“生きる事の放棄”に見えたのかもしれない。 彼等だって生きたい、生きたいはず。 だけど、それが叶わないからこうして覚悟を決めたのだ。 それは決して諦めじゃないと思う。 でも彼等を見ていると辛くなるのはどうしてなんだろうか…? 「あ…え…う、ウェールズ皇太子殿下のおなぁぁりぃぃーー!!」 ホールの入り口に立っていた人が上擦りながら声を上げる。 遅れて来た皇太子の登場にホール中が歓声に湧き上がった。 だが彼を目にした瞬間。その声はどよめきへと変わっていった。 彼が身に纏っているのは貴族の礼服ではなく軍服。 手には丸めた地図を持ち、その後ろには犬を引き連れている。 宴にはそぐわぬ異様な姿に貴族達も困惑を示し、 これは皇太子による新手の冗談かと周りに問いかける者までいた。 ウェールズの父である国王ジェームズ一世も目を剥き、杖を持つ手を震わせる。 当然ルイズにも何が起きたのかなど分からない。 しかしウェールズの目からは先程までの“死の覚悟”とは別の意思、より一層強い覚悟を感じ取れる。 「皆の者、すまないがパーティは中止……いや、延期してもらいたい! しばしの間、我等がこの手に勝利を収めるまで!」 誰もが死を受け入れて明日の決戦に備えて英気を養おうとする中、 突然の皇太子の発言は貴族達を混乱させるばかりだった。 それにも構わずウェールズは説明を始めた。 まずはクロムウェルが率いる貴族派の多くは彼に操られているという事実。 それにジェームズ一世の眉が顰められる。 忠臣の反逆が信じられないのも仕方がない。 だが既に解決した事柄を掘り返してどうなるというのか? それにそれだけの人間を操る事など如何なるメイジでも不可能。 息子の演説を止めさせようとした直後、彼の耳に驚くべき名が届いた。 『アンドバリの指輪』湖の精霊から奪われクロムウェルの手にあるという秘宝。 彼はその名を知っていた、そしてその力も…。 なんという因縁だろう、かつて冒した過ちの報いが来たというのか。 頭を抱えるように俯く王の肩にバリーがそっと手を添える。 彼だけが国王の苦悩を理解していた。 王は全てに平等たる天秤などではない、心を持った人間なのだ。 己の感情を殺し厳正なる裁きを下す、 それがどれほどジェームズ一世の心を苦しめたか。 だが、今は過去を悔やむ時ではない。 ウェールズ皇太子が言う様に勝利の可能性があるのなら一歩でも前へ進むべきなのだ…! 貴族派はクロムウェルの意のままに動く操り人形。 ここに連中の弱点が存在する。 操り手がいなくなれば人形はただの木偶と化す。 五万の軍など相手にする必要はない、ただ一人クロムウェルを討てば終わるのだ! 術者が死ぬ事で洗脳が解けるかどうかは定かではない。 だが、命令を下す者がいなくなれば兵は動けない。 例え何も起きずとも敵の総大将を討てば戦局は必ず変わる! 後はどうやってクロムウェルの下に辿り着くか、 その為の策を示す為に料理を除けてテーブルに地図を広げる。 「まずは夜影に紛れて『イーグル』号を出航させ迂回しつつ敵の警戒網を縫って接近させる」 その時には海賊船の偽装が役に立つ。 黒く塗り潰した船体は夜の闇に上手く溶け込んでくれるだろう。 しかし、それでも普通なら敵に気付かれずに近づくなど至難の業。 …だが今の私達には心強い助っ人がいる。 そう。人の悪意、敵意を感じ取れるミス・ヴァリエールの使い魔だ。 ウェールズは彼をレーダー代わりにして敵の目の隙間を探そうというのだ。 この段階ではクロムウェルのいる『レキシントン』には向かわない。 隙を突いたとしても艦隊の一斉砲撃を浴びれば『イーグル』号とて助からない。 そこで連中の目を引きつける囮が必要となるのだ。 「続けてニューカッスルから砲撃を行う…いかにも決戦を仕掛けてきたように見せてね」 地図の上に置かれた駒を動かしながらウェールズは説明を続ける。 それを見る限り城内は完全にもぬけの殻。 兵力は『イーグル』号が大半、残りが城門といった感じだ。 とてもではないが、その人数で城を守りきれるとは思えない。 「どの道、防ぎきれないだろうから…ある程度撃ち合ったら連中を中に誘い込むんだ」 「恐れながら殿下。それでは残された者が皆殺しにあってしまいますが…」 「いや、そうはさせない。連中が突破してきた所で城門を爆破して敵を中と外に分断する。 そこで反撃に転じ、取り残されて混乱する城内の敵を一掃する!」 ダンッと地図上の城門を拳で叩き、ウェールズは部下の心配を一蹴する。 普段の彼では考えられない熱の篭った言葉に部下は驚きを隠せない。 いつの間にかウェールズの周りには貴族達が集まっていた。 それも口々にこの作戦が上手くいくかどうかを話し合う。 可能性は低い、だが勝ち目があるとすればウェールズの言う策だけだ。 「その混乱に乗じ、非戦闘員を乗せた『マリー・ガラント』号を脱出させ、 『イーグル』号は一気に敵艦隊の中を突っ切り『レキシントン』に接舷し乗り込む! その後は敵の妨害に一切構わずクロムウェルの首級を上げる!」 『イーグル』号による急襲作戦。 それを提案するウェールズの声がホールに響き渡る。 死を受け入れた者には悪足掻きに見えるかもしれない。 だが見っとも無くとも情けなくともいい。 どんなに不恰好だろうと勝たなくてはならない。 ウェールズは討ち死にさえも覚悟していた。 だが自分達が戦おうとしているのは敵ではない。 操られた人間と金で雇われた傭兵、使い捨ての駒なのだ。 それと傷付けあった所で『本当の敵』には痛くも痒くもない。 互いに潰しあうその姿を愉しげに空から見下ろすだろう。 決して許してはならない! 連中の思い通りになどさせてたまるか! この戦い、必ず勝たなければならないのだ! 「……………」 皇太子の熱弁が終わりホールに沈黙が訪れる。 恐らくは死を決意するのにも相当の覚悟が要った筈だ。 今度はそれを捨てて戦えという。 一様に俯いて答えを出せずにいる中、一人の若者がウェールズに歩み寄る。 そして彼は周囲の面前で賛同の意を表明した。 「私は殿下に賛成致します。 戦う前から勝機を捨てるなどアルビオン騎士の名折れ! この身命、喜んで皇太子殿下に捧げましょう!」 若さ故か血気に逸る男が一番に名乗りを上げた。 恐らくは彼の部下だろうか、彼の背後からも口々に同意の声が上がる。 それに遅れじと次々と貴族達が男の後に続く。 しかし、それも半分まで。 残りの者達、特に年配者達は王の動向を気にして動けずにいた。 篭城しての決戦を指示したのはジェームズ一世だ。 ウェールズの策に乗るという事は王命に背く事になる。 ましてや一度出した命令を早々に変える事など王の沽券に関わる。 ちらちらと自分の顔を窺う貴族達に応える様に王は不自由な足で立ち上がった。 「王命は絶対である…!」 そして口にしたのは完全な否定を意味する言葉。 説得も不可能、決して曲がる事はない。 その一言に参加を決意した者達が沈痛に俯く。 ウェールズも自らの唇を口惜しさに噛み締めた。 彼等を見下ろしながらジェームズ一世は続ける。 「だが新たに王が立つならば、それに従うが道理」 「え?」 不意にウェールズの口より唖然とした声が漏れる。 他の貴族達も意を掴めずに戸惑うばかり。 だが、それを気に留めず国王は更に言葉を重ねる。 「今より我ジェームズ一世は王の座より退位し、その後継は我が息子ウェールズとする! これは最後の王命である! 以後はウェールズの命に従いアルビオンを守る礎となれ!」 言い終えて全身の力が抜けたジェームズ一世をバリーが支える。 古き時代が終わった、国王であった彼はそう確信した。 今、アルビオンには新しい風が吹いている。 彼等の妨げにならないように自分達は静かに道を空けるのだ。 それは傍に立つ老メイジも同じだった。 かつて若かりし頃の自分と陛下が駆け抜けた日々。 それを今度は離れた場所から見ている。 若き王の前に集う勇敢な騎士達。 なんという輝かしいばかりの生命の息吹か。 それで確信した。アルビオンは滅びたりはしない。 たとえ一人だろうと生き残った者達へと受け継がれる。 「ウェールズ国王陛下万歳!」 突然のウェールズの即位にざわめく貴族達の中、誰かが声を上げた。 それで気付いたのか、次々と皆が祝辞を述べる。 興奮に沸き返る貴族達に返礼をしながらウェールズは父へと向き直る。 「国…いえ、父上」 思わず口走りそうになった言葉を飲み込みながら、 ウェールズは父に感謝を示そうとした。 彼が身を引かなければ皆は二つに分かれていただろう。 だが、それを察してウェールズの言葉を遮った。 内部崩壊を恐れたのではない。 ましてや息子の事を考えてした事ではない。 これが正しいと信じて彼は国王の座を譲ったのだ。 その判断は間違っていない。 決して後悔しない選択だったと今こそ胸を張って言える。 「ニューカッスルの守りは任せて貰おう。 罠と分かったとしても余が居れば食いつかずにおれんだろう。 なに、バリーも傍にいる。それにおまえの足手纏いになりたくはない。 老いたりといえどまだまだ倅の世話にはならんよ」 ニカリと笑う父親にウェールズも笑みを返す。 それは彼が初めて見た父の笑顔だった。 ずっと重責を負い『国王』として振舞い続けた、父親の本当の姿だった。 意固地な人だ、最後の最後になってやっと素直になるなんて…。 いや、最後にはならない。絶対にさせない。 彼が振り返った先には頼れる仲間の姿。 一人の貴族がワインクーラーを引っ手繰る。 そして氷水の入った中身を頭から浴びる。 ぶっかけられた冷水が痛いぐらいに頭を冷やす。 「っぷあ! いい感じだ、酔いが一気に吹き飛んだぜ!」 「お、俺にも頼む!」 「ああ、心臓が止まらねえように気をつけろよ!」 「水だ! 水が足りんぞ! ジャンジャン持って来い!」 体に残った酒を抜こうとする者達の横で、老メイジは指示を飛ばす。 「よいか! 今から指定する場所に火の秘薬を仕掛けるのだ! 竜騎士隊は乗船の前に自分の竜の翼を暖めておけ!」 先程までの静けさとは打って変わった熱狂振りにルイズの目が丸くなる。 粗野で下品で貴族としての振る舞いが全然感じられない。 でも彼女の眼には、彼等がずっと人間らしく映った。 例え僅かな可能性だったとして生き残る事を放棄しない。 その生き足掻く姿こそが生命の有り様なのだ。 ウェールズを中心に慌しく動き回る人々。 その眼に込められた力を見回しながらデルフは彼に語り掛けた。 「風向きが変わったな。知ってるか相棒? 番狂わせってのはな、こういう時に起きるもんなんだぜ」
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モット伯の屋敷の前、聳え立つ正門を見上げる。 その門番なのだろうか、武装した衛兵二人が彼に気付いた。 一人はその場に残り門を守り、もう一人がこちらに近づいてくる。 「…さて準備は良いか? 相棒」 デルフの言葉に黙って頷く。 元より自分の覚悟は出来ている。 彼が雄叫びを上げる。 それは戦いの始まりを告げる鐘の音だった。 「何の騒ぎだ!?」 耳障りな獣の鳴き声にモット伯が怒りを露にする。 風呂で身体を洗ってワイン片手に、機嫌良くシエスタを待っていたのだ。 しかし、さっきから聞こえてくる鳴き声によってモット伯の気分は害された。 「とっとと黙らせろ!」 「そ、それが……」 激昂するモット伯に怯えながら、 しどろもどろになりつつも衛兵が弁明する。 だが、どう説明すればいいのか。 正門前の状況は衛兵の理解を超えていた。 「おい……どうしたんだ、お前達?」 背に羽が生えた異形の犬を衛兵は嗾けた。 犬を普通に追っ払ってもまた戻ってくる事が多い。 だから犬を嗾けるのが一番の対処法だった。 少なくともそれは確実な手段だった……この犬が現れるまでは。 犬の足が止まる。 見ればそれは小刻みに震えていた。 訓練された犬は相手が誰であろうと恐れない。 たとえ銃を持っていようとメイジであろうと立ち向かう。 その犬が怯えている。 まるで怪物と対峙しているかのように固まる。 彼等は理解していた。 訓練によって研ぎ澄まされた鋭敏な感覚が、 目の前の犬が尋常の物ではないと告げていた。 “触れれば死ぬ”そんな言葉が頭に過ぎる。 まるで冗談のような存在だ。 そもそも生物として質が違う。 生きる為に存在しているんじゃない、 この怪物は“殺す”為に存在している。 これは獣の形をした『兵器』なのだ…! 命を捨てる覚悟は出来ている。 だが死ぬのは自分達だけではない。 この怪物に挑んだ瞬間、戦う事さえ出来ずに八つ裂きになるのは明白。 そうなれば次に犠牲になるのは背後に立つ主人である衛兵達。 決して相手を刺激してはならない。故に動けない。 番犬のただならぬ様子に衛兵も動けない。 死をも厭わぬ獣が見せる恐れは彼等にも伝わった。 吼え続ける犬を彼等はただ黙って見ているしかなかった。 「さあ、さっさとモット伯を出してもらおうか。 じゃねえと相棒は屋敷の前でずっと吼え続けるぜ」 風を切りシルフィードの巨体が宙を舞う。 その背に乗せているのは四人の男女。 「もっと急いで!」 「………了解」 ルイズの声に寝ぼけ眼を擦りながらもタバサが応じる。 シルフィードの耳元で何事か囁くと更に速度を増す。 ルイズは焦っていた。 思った以上に時間を食い過ぎたのだ。 馬では追いつけないかもしれないとタバサを呼びに行ったまでは良かった。 しかし完全に熟睡したタバサを起こすのは大変だった。 ゆさゆさ揺さぶっても完全に夢の中に落ちたまま。 本を読んでる時や食べている時と同じで、なかなか落ちない油汚れ並みの頑固さだった。 この時点で馬で行けば良かったと思うのだが、 遅れを取り戻そうと焦り冷静な判断を失っていたのだ。 “眠れる姫を起こすのは王子のキスと決まって……” 戯言を抜かすギーシュをエアハンマーで吹き飛ばした所で彼女はようやく目を覚ました。 説明しても未だ寝ぼけたままなのか、うつらうつらしてる。 ようやく状況を飲み込んだ彼女がパジャマ姿のまま杖を取る。 服ぐらい着替えなさいよ、とキュルケに注意されて彼女はパジャマのボタンに手を掛けた。 ギーシュ達が居るその場で何の躊躇もなく。 キュルケがその手を抑え、私が上から毛布を被せる。 慌てて後ろを向くコルベール先生とフレイムに焼かれるギーシュ。 こんな調子のタバサでは役に立たないと彼女が覚醒するまで待っていたのだ。 タバサを目覚めさせるのには成功したが、今度はシルフィードがダメになっていた。 口から緑色の泡を吐きながらピクピク痙攣する彼女。 何かの奇病かと焦る一行にタバサは『好物の食べ過ぎが原因』と簡潔に説明した。 とりあえず水を流し込んで胃の中を洗浄する。 そのついでに顔に樽一杯分の水を掛けて叩き起こす。 しばらくしてなんとか起き上がったものの足取りがおぼつかない。 フラフラするシルフィードを見て、馬にすれば良かったと後悔するも時既に遅し。 もう猶予は無い、下手をすれば既に屋敷に乗り込んでいるかもしれないのだ。 致命的な遅れを挽回するにはシルフィードでなくてはダメなのだ。 「どうにかならない?」 「……やってみる」 キュルケに言われ、タバサがシルフィードに歩み寄る。 そして小さく二言、三言囁くと風竜は翼をはためかせて本来の威厳を取り戻した。 心なしか顔が青ざめているように見えたけど、この際関係ない。 動けるものなら何でも使う、そうせざるを得ない状況なのだ。 「あまり無茶はしないように!」 「はい! 後の事はお願いします!」 いくら風竜とはいえ人数が多ければ速度は落ちる。 コルベール先生を残し、シルフィードの背に乗る。 ついでにギーシュも置いていこうとしたのだが、 しっかりとへばり付いてシルフィードから離れない。 時間も無いので、このまま連れていく事になった。 「責任の一端は僕にもあるからね」 「はいはい」 口に薔薇を咥えたままのギーシュに適当に相槌を打つ。 モット伯の屋敷を教えたんだから一端どころかモット伯の次ぐらいに責任がある。 それなのに平然とした顔しているこいつが気に入らなかった。 「大丈夫だって。相手がトライアングルのメイジでも彼なら……」 「それが問題なのよ!」 そもそもギーシュの考えは論点がズレてる。 勝ち負けなんて関係ない。 王宮の勅使に手を出す事自体が大問題なのだ。 ましてや、あいつは並の使い魔じゃない。 もし全力で暴れようものなら……。 小さな部屋でその衛士は椅子に座っていた。 組んだ指先がカタカタと震え、顔面は蒼白。 正気を失いつつあるが、それでも彼は職務を全うしようとした。 そして、ぽつりぽつりと目にした事を呟く。 “最初はやけに静かだなって思ってたんです” “門番もいないし、扉も開けっぱなしだったんです” “なんだ、何もないじゃないかって……その時、気付いたんです” “足元が…赤絨毯じゃなくて……血だったんです” “怖くなって人を探したんです。もう誰でも良かった” “捜索の途中で部屋から光が射しているのを見かけたんです” “だから誰かいるんじゃないかって覗いてみたら……燃えていたんです、人が…” “モット伯? モット伯爵は見つかりませんでした” “いえ、それらしき『物』ならありました……” “私室にあったんです。服や杖は伯爵の物だったんですが…” “その下にあったのはドロドロに溶けた『何か』だったんです” 「マズイ……確かにそんな事になったら……」 ギーシュが頭に浮かんだ最悪の予想を振り払う。 それで取り返したとしてもメイドがいなくなっていればすぐに気付かれる。 そうなればシエスタが学院のメイドだった事が判明し、そこから彼へと捜査は及ぶだろう。 使い魔の責任は主であるルイズの責任。 最悪、ルイズは縛り首。使い魔の方は解剖されて実験台。 いや、だけど彼の力なら衛士隊とも渡り合えるかもしれない。 “トリステイン王国VS究極生物!” そんなチープなタイトルが浮かんでしまった。 冗談じゃない…! 早く止めないと笑い話じゃ済まなくなる! 風竜が空を翔る。 目指すモット伯の屋敷は間もなく見えてくるはずだ。 「それで私に何の用かね?」 頬杖をつきながら至極不満そうにモットは応対する。 その視線の先には薄汚い犬。 これからお楽しみの時間だというのに邪魔をされて最悪の気分だった。 「なに、伯爵様に是非見てもらいたい物があってな」 ソリには布が掛けられていた。 その布の端を彼が咥え引き抜く。 途端、露になるソリの中身。 「……! 何ィ、まさか、それは…!」 積まれていたのは雑誌だった。 それもただの雑誌ではない、いわゆるエロ本だ。 いくら『ドレス』の研究員とはいえ、研究所に缶詰では溜まる物もある。 そういう時に『こういう物』のお世話になっていたのだが、それが資料に混じっていたのだ。 『異世界の書物』に興味があると聞いた彼はふとコルベールの事を思い出した。 そう。バオーに関する資料もまた『異世界の書物』なのだ。 そしてコルベールが要らない資料があると言ったので内緒でぱくってきたのだ。 頭を下げたのはその謝罪。 そして、彼が適当に持ってきた本はモットの好みに直撃した。 「……………」 モットの視線が本に釘付けになっている。 つつつとソリを引っ張ると釣られてモットの視線も動く。 更に動かすと今度は椅子から立ち上がった。 「それじゃあ機嫌悪いみたいなんで出直すわ」 「待ちたまえ! 話を聞こうじゃないか!」 そそくさと出て行こうとする彼をモットが焦り呼び止める。 モットの不機嫌など完全に吹き飛んでいた。 もしデルフが笑えたらきっと笑っていただろう。 『よし、餌に食いつきやがった』と。 「分かっているとも。あのメイドだな? すぐに解雇しよう。勿論まだ手はつけておらん」 「おいおい伯爵様よー。こっちはかの有名な『異世界の書物』だぜ? メイド一人と交換で済むと思ってんのか?」 「むう……」 モットは自分の髭に手をやった。 これはただの脅しだ。 連中にしてみればあのメイドを助ける事が重要であって、 本の値を吊り上げるのはついでに過ぎない。 だから、ここは強引に押し切っても大丈夫だろうと踏んだ。 「…悪いが、それ以上の条件は呑めんな」 「じゃあ、この話は無かった事で」 「待ちたまえぇぇぇーーー!」 あっさりと引き下がろうとする犬を慌てて呼び止める。 まさか、そう来るとは思ってなかったのか、予想外の展開に振り回される。 デルフとてシエスタを助ける事が第一だと思ってる。 しかし、それでシエスタを助けた所で今度は他の女性が犠牲になるだけだ。 だからモット伯から搾り取れるだけ搾り取って新しいメイドも雇えないようにしてやろう。 そういう考えがあったのだ。 「そうだな。屋敷にいるメイドで実家に帰りたい連中全員ならいいぜ」 「くっ……! いや、しかし、それは…」 「考えてもみろよ。メイドにだって給金払ってるし、維持費だってバカにならねえだろ? それが貴重な本に代わるんだぜ? 『固定化』かければ維持費なんて必要ないだろ? 長期的なスタンスに立ったらメリットだけが手元に残るんだぜ。メイドも一生若いままじゃねえんだし」 「なるほど、それもそうか…」 昔取った杵柄というべきか。門前の小僧習わぬ経を詠むというべきか。 武器屋の親父の所で年月を過ごしたデルフは、こういった駆け引きが得意だった。 そりゃあもう口八丁で良い点ばっかり強調して商談を成功させた。 早く早くと急かすモットを落ち着けてメイドたちが先と念を押す。 その後、集められたメイドの数はデルフの予想を遥かに上回っていた。 モット伯の欲深さに正直、呆れるばかりである。 だが、シエスタを除き皆の表情は暗い。 元よりモット伯に身体を弄ばれた者達だ。 このまま故郷に帰っても肩身も狭いのだろう。 嫁ぎ先も決まるかどうかも怪しいし、 元々貧しい出の者も多いだろうから生活も苦しくなるだろう。 だが、そこもデルフの計算の内だった。 メイド達を確認すると本を手に取る様にモット伯に促す。 「おお…ついに『異世界の書物』が我が手に…!」 感極まった声でモット伯がソリに載せられた本に手を伸ばす。 そして持ち上げた瞬間、驚愕の声を上げた! 「何ィィィィーーーー!!」 『異世界の書物』の下には、もう二つ『異世界の書物』があった。 つまり! 『異世界の書物』は『三冊』あった! 彼がぱくってきた雑誌は三冊あった。 万が一の事態を考慮し多めに持ってきたのだ。 勿論、指示したのはデルフである。 何も無ければ返せば良いと実弾を増やしてきた。 「さて、二冊目なんだが……」 「っ………!」 モット伯の威厳がデルフに呑まれていく。 正に魔剣と呼ぶべき迫力。 それを以って、ぼそぼそと伯爵に耳打ちする。 「メイド一人当たりに、これだけの退職金を支払うという事で」 「……! おまえ、それだけあったら酒場が一つ経営できるぞ!」 しかもメイド一人当たりである。 合計すれば金額は更に跳ね上がる。 どれぐらいかというとモット伯の屋敷の金庫の中身ぐらい。 こう見えてもモット伯は老後の心配もする慎重派。 蓄えは常に持っておかないと心配な人なのだ。 それが空になるというのは流石のモット伯も腰が引けてしまう。 だが、悪魔の囁きがそれを覆した。 「これ、さっき買ったのの続きなんだけどよ……本当にいいのか?」 「!!!」 コレクターにとって揃える事は何よりも重要である。 たとえ、中に何が書いてあるか分からなくても揃っているだけで価値はある。 逆にいえば、いくら価値がある物といえど揃わなければ価値は半減。 「さあ、どうする?どうする?」 「…いや、それは、急に言われてももう少し考えさせて……」 「そっか。じゃあご縁が無かったという事で」 「むぅぅあぁぁちぃぃたまえぇぇぇーーーー!!!」 金庫から運び出される金貨や金塊の山。 それを平等に彼女達へと分配していく。 新しく人生をやり直すための資金だ、多いに越した事はない。 最初は面食らっていたものの、ようやく飲み込めたのか感謝の言葉を口に出す。 笑顔を見せる者、中には涙を零す者もいた。 「いいって、いいって。実際には伯爵様が出してんだからよ」 「……ああ」 反面、モット伯は燃え尽きかけていた。 資産の大半を注ぎ込んだのだ、枯れ果ててもおかしくない。 しかし、そういった人間もまた悪魔にとっては標的にすぎない。 「実はよー、これ三部作なんだな、これが」 「………!!?」 そして悪魔は再び囁く。 モット伯を破滅に導く為に…。 「………………」 彼女たちは言葉を失っていた。 風を切り、吹き抜ける風を物ともせず、 ようやくモット伯の屋敷に辿り着いた彼女達が見た光景。 それは鎧や絵画などの財宝を満載した馬車にメイド達を侍らせ、 悠々と衛兵達に見送られる自分の使い魔の姿だった。 何が起きたのか、それともこれは夢なのか。 横に立っているギーシュの頬を捻り上げ確かめる。 「なあ、本当にこれで良かったのかね?」 頭に冠をかぶった相棒にデルフが話し掛ける。 悪ノリした自分もどうかと思うのだが、良くある悪者退治には程遠い。 魔王の城に乗り込んで破産させたなんて話、聞いた事がない。 こんな結末で良かったのかと彼に尋ねた。 「わん!」 実に軽快な返事。 これでいいのだ、と彼は答えた。 どんな結末だろうと自分は後悔しないようにやったのだから。
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「…………」 「…………」 学院長室にて、オスマン氏とコルベールが遠見の鏡を呆然としながら眺めている。 「…………」 「………み、ミスタ・ココペリ」 「…………」 「…ミスタ・コエムシ、聞いとるのかね?」 再度オスマン氏がコルベールに呼びかけるが、まったく反応が無い。 「……おい、毛根全滅男」 「誰の毛根が全滅しているんですか!まだサイドは生き残ってます!」 「もういっその事、そっちも剃った方がすっきりするような気もするが…」 「私は諦めません!諦めは何も生まないという事を、私は知っています!」 「まあ、それは良いとして。見たの?」 「ええ見ましたとも!彼は…彼はやはり『ガンダールヴ』なんでしょうか?」 「どうじゃろうな…」 オスマン氏が口髭をいじりながら答える。 「それにしては……『ガンダールヴ』は始祖ブリミルが、呪文詠唱中の 無防備な状態を守るために用いたと言われておる」 「はい…姿形は記述がありませんが、その力は千人の軍隊を一人で壊滅させ、 並みのメイジではまったく歯が立たなかったと!」 「そして伝承にはこうもある。 『ガンダールヴ』はあらゆる『武器』を使いこなし、敵と対峙したと…」 「はい」 「『武器』……使っとらんかったの」 「あっ!」 「というか、あれで『武器』なんかいるのかのう?」 「そ、そうですね………」 感じる!今どこかで、俺の存在意義が否定された! このデルフリンガー様の存在意義が…ッ! 「ま、それはそうとして…彼は本当にただの平民だったんじゃな?」 「はい、どこからどう見ても。念のためにディティクト・マジックで確かめたのですが 反応は無く、正真正銘ただの平民の少年でした」 その言葉を聞いて、オスマン氏は頷く。 「うむ、ではあの少年はどうやってあの姿になったんじゃ? 魔法も使わず、どうやってゴーレムを溶かしたのじゃ?あの雷は? そして…あのグラモンの息子をどうやって治したと言うんじゃ?」 「それはその…先住魔法でしょうか?」 口ごもりながらコルベールが答える。 「では何故君のディティクトマジックに反応がなかったのかのう? 先住魔法も魔法の力、まったく反応がないという事は無かろう」 「………わ、わかりません」 その言葉にため息をつくオスマン氏。 「うむ、ではあの少年を召喚した生徒は誰なんじゃ?優秀なメイジなのかね?」 「いえ、召喚したのはミス・ヴァリエールで…真面目な生徒ですが、メイジとしては…」 「謎がまた一つというわけじゃ…」 「と、とにかく彼が『ガンダールヴ』であろうと無かろうと、これは一大事件です! 王室に報告して、指示を仰がない事には」 「それはならん!」 オスマン氏が厳しい声でコルベールの提案を否定する。 「し、しかし…」 「ミスタ・コルベール!宮廷で暇をもてあましとる連中に、あの少年とその主人を 引き渡したらどうなると思う!?」 ハッとなってオスマン氏を見るコルベール。 「彼奴らはあの『力』を手に入れようと躍起になるじゃろう! 二人の命を彼奴らが考慮に入れると思うかね?…君ならわからんでもあるまい」 「………はい」 オスマン氏の言葉にコルベールは過去を思い出していた。 かって自分が隊長を務めていた、魔法研究所実験小隊での最後の任務を。 ダングルテールで自分が犯した、消す事のできない罪の記憶を… 「ありがとうございます、オールド・オスマン。私は危うくまた…」 「よいよい……… 言っても無駄じゃと思うが、あまり自分を責めてはいかんぞ。 君は上から命令に従っただけじゃ、悪いのは、腐った宮廷の連中じゃよ」 「すいません、学院長…」 重苦しい空気が流れる中、オスマン氏が口を開く。 「とにかく、このまま放っておくわけにいかんじゃろう。 まずはあの少年から直接話を聞かねばな」 「では私が彼を連れてきます!」 「いや、その必要は無い」 外に飛び出そうとするコルベールを、オスマン氏が引き止める。 「おー、相棒。災難だったな…」 呆然とするルイズの手から放たれたデルフリンガーの声に、育郎がルイズたちに気付く。 「デルフ!それにルイズも…」 「ひでーぜ相棒!俺を放っておくなんて。 なんか俺いらねー子になったんじゃねーかって、不安で不安で仕方が無かったぞ」 そう言いながらも、どこかデルフの声は嬉しそうだった。 「すまない、デルフ…」 「わ、わかってくれればいーんだよ。というか、これからどうすんだ相棒」 「…………」 その言葉に、途端に押し黙る育郎。 このままではルイズに迷惑をかけてしまうかも知れない… 姿を消そう!誰にも会わず、誰にも見られず……… 「相棒…行くんなら俺もついてくよ」 「デルフ…」 「おっと、気にする必要はねーぜ。俺は剣で、相棒だからな。 それに俺がいたほうが便利だって。だからさ、置いてかねーでくれよ…」 「さっきから何を言ってんのよ…置いてくって?」 それまで黙っていたルイズが、そのやり取りに不安を感じて会話に割り込む。 「ルイズ…すまない」 「な…何謝ってるの?その、あの事を黙ってたのは許してあげるから…」 そんな事を言っているのではないとわかっている。彼らが何を考えているのかは、 鈍いルイズでもうっすらとは分かってはいたが、それを口にするのは嫌だった。 「娘っ子…短い付き合いだったな」 「ごめんね、使い魔になるって約束したのに」 「ちょ、ちょっと待ってよ!」 育郎は、ルイズの手からデルフリンガーを受け取ろうとするが、ルイズはデルフを 離そうとしない。 「な、何なのよあんた!?あんな格好になれると思ったら、今度は…」 それを言うのは嫌だったが、口にしなければならない。 「どっか行っちゃうつもりだなんて!どういうつもりのなのよ!?」 「そう言うなよ、相棒も娘っ子の約束を破る事になってつれーんだ」 「だったらなんで!?」 「あのな、娘っ子。黙ってたのも、これから行くのもな…… みーんな娘っ子を心配しての事なんだよ。だからあんまり相棒をこまらせんな」 「………え?」 今のルイズには予想だにしなかった言葉だった。一瞬体から力が抜け、その隙に育郎は ルイズの手からデルフを奪い取る。 「さよならルイズ…」 立ち去ろうとする育郎を、ルイズはなんとか止めようとしがみついた。 「だ、だからちょっと待ちなさいって!」 「そうです、ちょっと待ってください!」 まだ呆然としている生徒達の中から、誰かが二人に声をかけた。 「貴方は、ロングビルさん!?」 しかして、群集を掻き分け現れたのは、オールド・オスマンの秘書、ミス・ロングビル その人だった。 「イクロー君。学院長がお呼びです、いっしょについて来てもらえますね?」 ここから去るのは、学院長の話を聞いてからでも遅くないですよ。 どこか…頼れるところがあるわけじゃないでしょ?」 「ですが…」 渋る育郎に、ミス・ロングビルは育郎の手をとり続ける。 「無理やりにでもついて来てもらいますからね。それが私の『仕事』なんですから。 来てもらわないと、私が叱られちゃいます…だから、ね? イクロー君は私が叱られても良いなんて、冷たい事は言いませんよね?」 そう言って、少し悪戯っぽく微笑む。その顔に、さすがに育郎の表情も少し弛む。 「わかりましたロングビルさん」 「それじゃあ」 ミス・ロングビルの後について歩き出す育郎。 「って相棒、娘っ子はいいのか?」 「……ハッ!ちょ、ちょっと私も行くから待ちなさい!」 デルフリンガーの言葉に状況について行けなかったルイズが、二人の後を追いかける。 「ていうか何でミス・ロングビルと知り合いなの!?なんか仲良さそうだし!?」 なんだか良く分からないが、腹が立ってくるルイズであった。 「まさかこのような事態を見越して、ミス・ロングビルに使い魔をつけているとは… 学院長の深謀には恐れ入ります」 コルベールの賞賛の言葉に、ばつが悪そうにオスマン氏が首を振る。 「いや、二人の仲人を勤めるかもしれんのーとか思っての…ほら…なりそめとか… それに盛り上がりようによっては、今日にでもおっぱじめるかなーとか、若いし」 「…………」 「……はっ!」 ルイズが去った後、決闘の観客の一人だったキュルケがようやく自分を取り戻す。 「た、タバサ、彼って一体…」 隣にいる親友、いつも本を読んでいて、大抵の事は知っている青髪の少女に話しかける。 「………」 しかしタバサからの返事は無かった。 「…タバサ?」 そしてキュルケは気付いた。 「た、立ったまま気絶している………ッ!?」 悪 魔 降 臨 !! 変身する育郎を見て、そんな風な言葉を連想したとかなんとか。 なんかこう、生っぽい変身は反則とか、心の準備が欲しかったとか。
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「おや、君達どこかにでかけるのかい?」 広場にやってきたギーシュが、シルフィードに乗ろうとする育郎達を見つけた。 「この娘の家に遊びに行くのよ」 竜の背にのるキュルケが、タバサを指差して答える。 「それなら明日にすればいいいいじゃないか?虚無の曜日なんだし」 その言葉にニヤリと笑うキュルケ。 「それがね…タバサの家に泊まって、次の日はヴァリエールの家に行くのよ!」 「…確か君たちの実家は、宿敵同士じゃなかったっけ?」 「だから……… い い ん じ ゃ な い の !」 「なにがいいのよ…あんたどんな神経してるの?」 シルフィードの傍らに立つルイズが、信じられないと言う目をキュルケに向ける。 「あら、いくらラ・ヴァリエール家でも、客をいきなりとって食べるような真似は しないでしょう?」 「当たり前じゃない。例え相手がツェルプストーでも…って誰が客なのよ!?」 「 わ た し 」 毎度のやりとりを始める二人に、肩をすくめるギーシュ。 「そういえば彼女は?姿が見えないけど、なにかあったのかい?」 育郎がいつもギーシュの隣にいるはずの、モンモランシーが居ない事に気付く。 「ああ、僕の使い魔が見当たらなくてね。手分けして探してるんだ」 「君の使い魔?」 「そう、僕の可愛いヴェルダンデ!そういえばイクローに紹介した事はなかったね? 今すぐに君に見せたいのはやまやまなんだが…そうだ!君たちも一緒に」 「時間がない」 ギーシュの言葉をタバサがさえぎる。 「泊りなんだから別にいいじゃないか…そんなに急ぐものでも」 「私の家はラグドリアン湖の近く」 ラグドリアン湖はガリアと国境を跨って広がっている。対して、ヴァリエール領は ゲルマニアとの国境にあり、ラグドリアン湖との距離は結構なものである。 おかげで、虚無の曜日に日帰りで用を済ます、というわけにはいかず、タバサの家に 泊る事になったのだ。 「…でもちょっとくらいなら」 「なにやってるのよギーシュ!最近使い魔が自分をかまってくれないって泣いてたから、 こうやって一緒に探してあげたっていうのに、私だけに探させるつもり!?」 広場で話し込むギーシュを見つけ、モンモランシーは顔を真っ赤にさせて詰め寄る。 「す、すまないモンモランシー。たまたま彼らを見つけたから、つい……… あ、そうだ愛しいモンモランシー!ヴェルダンデは見つかったかい?」 「いなかったわよ… これだけ探して見つからないんだから、どこかに潜ってるんじゃないの? だったら食事の時間まで待って、その時にでも」 「フッ、僕もそう考えたんだけど…食べたらすぐその場で潜っちゃうんだ…」 がっくりと肩を落とすギーシュ。 「なにか好物でも置いて、よって来るのを待てば?」 見かねて育郎がアイデアを出す。 ちなみこの時タバサは、『そんな奴ほっとけ』と目で訴えていたのだが、残念な事に 気付いてもらえなかった。 「うーん…好物か。ミミズは勝手に食べてるし…」 「そういやおめーの使い魔って何なんだ?ミミズとか、潜るとか…カエル?」 「それは私の使い魔よ」 デルフの言葉に、モンモランシーが腰に下げた袋からカエルを取り出し、手にのせる。 「カエルを持ち歩いてるのか!?」 「あたり前じゃない、私の使い魔なんだし」 「なにか変かいイクロー?」 「い、いや別に…ルイズはカエルが嫌いだから…」 実際のところは、女の子がカエルを持ち歩く事に驚いたのだが、それを説明するのは いろいろと面倒なのでそう答える。 ちなみにこの時タバサは竜から降り、育郎をツンツンつついて、出発をせかして いるのだが、軽いカルチャーショックを味わった育郎には気付いてもらえなかった。 「じゃ、二人のケンカが終る前に戻した方がいわね。ホラ、ロビン」 騒ぐルイズを横目に、袋の口を開いて使い魔に中に入るようにうながす。 「そもそも潜るのは水の中じゃなくて地面だよ。 なんてったって、僕の使い魔はジャイアントモールだからね!」 「モール…モグラかい?」 「相棒ジャイアントモール見た事あるか?始めて見たら笑っちまう程のでかさだぜ」 「そう!僕のヴェルダンデは、見た人間が思わず微笑んでしまう愛らしさなんだ!」 「それは一度見てみたいな…」 「ああ、君が帰ってくるまでにヴェルダンデともう一度仲を深めておくよ!」 「…その必要はないみたいよ」 「へ?」 モンモランシーが指差した先の地面がモコモコと盛り上がり、茶色の大きな生き物が 地面を突き破ってあらわれた。 「おお、ヴェルダンデ…ってあれ?」 膝をついてヴェルダンデを抱きしめようとするギーシュだったが、ヴェルダンデは その横をすり抜けて、モグモグと鼻をひくつかせながら育郎にすりよった。 「っと、よしよし…この大きさはすごいな。モグモグって鳴いてるし」 「だろ?でもこいつが愛らしいたぁ…この坊主もある意味てーしたもんだ」 「そうかな?結構可愛いじゃないか」 「マジか相棒!?だってでっかいモグラだぜ?」 「ヴェルダンデ!何故僕じゃなくイクローに!?」 三者三様のリアクションをとるなか、ヴェルダンデは変わらず、モグモグいいながら 育郎に自分の鼻をこすりつけている。 ちなみにこの時タバサは、育郎の服を引っ張って『とっとと行こう』とアピールして いるのだが、ヴェルダンデが盛大にじゃれ付いているため、育郎は気づかなかった。 「ひょっとして…この子の好きなものでも持ってるんじゃないの?」 「…ミミズをかい?」 モンモランシーの言葉に、ギーシュが怪訝な顔をする。 「そうじゃなくて、宝石とか貴重な鉱石とか…貴方の使い魔は、そういう物が好きで 自分の為に探してくれるって、この前自慢してたじゃない」 「そんなのイクローがもってるわけ…もってないよね?」 二人の視線が育郎に向けられる。 「あ、ああ…そんな、宝石なんて高価なもの」 もってます 先日モット伯との一件で、育郎は宝石を手に入れている。 もしそんな物を持っていると知られたら、当然何処から手に入れたかを聞かれる だろう。しかしモット伯との事を話すわけには行かない。自分だけならまだしも、 ルイズやシエスタにまで迷惑をかける事になりかねないからだ。 だからといって『拾った』等と言うには、あまりに高価な代物である。 「ああ、そりゃ多分俺だ」 どうしたものかと困っている育郎に、デルフが助け舟をだした。 「君が?とてもそうには見えないけど」 「あ、でも確かに背中の剣に手を伸ばしてるわよ」 幸運というべきか、育郎はミス・ロングビルからもらった宝石を、小さな袋に入れ、 デルフの鞘に目立たないようにくくり付けていたのだ。なにせ育郎は使い魔の身、 ルイズの部屋に住んではいるが、自分用の家具など持たない身である。 そんなものをしまう場所など存在しないのだ。 「おめーらみたいな若造にはわかんなくても、こいつにゃ俺の凄さが分かるんだよ。 よかったな坊主、良い使い魔をもててよ!」 「うーん、ひょっとして微妙な錆び具合が珍しいのかな?」 「おめーな…」 ぐりぐり 「…どうしたんだい、タバサ?」 「早く出発を」 「ああ、ごめんごめん…怒ったかい?」 「全然」 「…本当に?」 「本当に」 「………」 頭に杖を押し付ける時に込めていた力を考えると、とてもそうは思えなかったが、 むし返すのもどうかと思い、黙っている育郎であった。
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私の目から涙が溢れた。 使い魔の前で無様な姿は見せられない。 そんな事は百も承知していたはずなのに止まらない。 それで判ってしまった、私は心細かったんだ。 使い魔を召喚した日から今まで築き上げてきた物。 言葉では語り尽くせない日々に、 自分一人では触れ合う事さえなかった友人達。 それを前にして自分が成長してる気分になっていた。 でも皆と離れてしまった途端、急に恐怖が込み上げた。 今までの出来事が全部夢で自分は変わらないまま。 そんな錯覚が頭から離れなくなった。 私の自信なんて誰かが居なければ確かめる事も出来ないもの。 でも、もう大丈夫。 私の使い魔はここに居る。 どこにいようとも必ず駆けつけてくれる。 私達は二人で一つのパートナーだから。 ようやく落ち着きを取り戻しルイズは涙を拭う。 その間、微動だにせず受け入れていた彼は元の姿に戻っていた。 アニエスはまだ着地した事に気付いてないのか、目を閉じたまま震えていた。 声を掛けても聞こえてないのか、始祖への祈りを続ける。 仕方ないので彼女は放置して彼に訊ねる。 「……ねえ、一つだけ聞きたいんだけど『アレ』貴方の仕業?」 彼女の指差す先は見るまでもなく傾斜した世界樹。 その下ではランプや松明を手にした町の人がわらわらと集まってるのが見える。 彼等の悲鳴や絶叫が空を往く船にまで届いてくる。 倒れた訳ではないので怪我人や死人は出ていないだろうが、 恐らくはラ・ロシェール始まって以来の大惨事だ。 心なしか問い質す彼女の顔も引き攣って見える。 “違うよ、違うよ”と必死に前足と首を振って誤魔化す。 それを見て彼女も安堵の息を漏らした。 「そうよねー、そんな訳ないわよね」 あははは、と笑う彼女は笑みはどこかぎこちない。 状況から見ると八割方こいつの仕業で間違いない。 だけど、それを認めるのが怖くなって拒否したのだ。 弁償となれば一体どれぐらいの金額を支払う事になっただろうか。 あるいはヴァリエール家が没落していたかもしれない。 となれば誰の所為にするのがベストか? ちらりと視線を向けると町で暴れ回るゴーレムの姿。 一人と一匹と一振りの頭に電球が浮かぶ。 「許せないわ『土くれのフーケ』! 貴族の財産ばかりか、人々の共通の財産を破壊するなんて!」 「ああ、全くだぜ!」 「わふっ!」 だんっと船の縁に足を乗せてルイズがゴーレムを指差す。 それに続き、彼も両前足を縁に掛けた。 突然の彼女の言動にざわめく船員達。 しかし貴族の令嬢と盗賊、信じるべきがどちらかなど言うまでもない。 僅かな疑念を残しながらも即座に手旗信号で『フーケの仕業』と下に伝えられた。 未だに混乱が収まりきらぬ中での新情報。 目の前の怪異に慄いていた人々の前に捧げられた『真犯人』。 それは集まっていた町民の間に瞬く間に広がっていった。 「聞いたか? 犯人は『土くれのフーケ』だ!」 「おのれ! 奴の仕業だったのか!」 「俺の家を破壊したのも奴の仕業に違いない!」 「冗談じゃない! 船が来なくなったらこの街は終わりだ!」 「許せねえ! 血祭りに上げてやる!」 彼等の恐怖と混乱はやがてフーケへの怒りに変貌を遂げていく。 それはさながら魔女狩りのように人々を駆り立てた。 手に松明と武器、口々に怨嗟の言葉を吐きながら彼等はフーケの下に向かう。 それはまるで町全体が熱病に掛かったのかのようだった。 「ちっ…! しつこいんだよ、アンタ達!」 ひらひらとゴーレムの拳を避ける風竜を前に毒づく。 互いに決め手を欠いた勝負は泥沼と化していた。 以前のような平坦な場所と違い、ここでは思うように動きが取れない。 少し距離を取られてしまえば手が届かなくなる。 しかし向こうの攻撃もゴーレムを破壊するには至らない。 風竜より交互に放たれる炎と氷。 そこからすぐに相手の狙いは読み取れた。 加熱と冷却による物質疲労、それが小娘達の策だ。 判ってしまえばどうという事はない。 時には避け、時には防ぎ、決して同じ箇所への連続攻撃は受けない。 それさえ注意していれば簡単に潰せてしまう。 仮にゴーレムを破壊されたとしても修復できる。 だが問題は勝つ事じゃない。 もう船が出港している頃合だ。 つまり頼まれていた時間稼ぎは終わり。 だからとっとと撤退するのが賢い選択というもの。 その隙を見つけ出すのが重要なのだ。 でないと、いつ人が集まってくるか知れたものではない。 ちらりと下を向くとこちらに向かってくる人影が見えた。 (これだけ騒げば、そりゃあ野次馬の一人や二人来るわよね) しかし、その予想は大きく覆された。 まるで山火事のように映る無数の明かり。 数人どころではない、老若男女問わず町中の人間がこちらに向かって来る。 それも各々持参した武器を手に持ってである。 しかも何故か自分の名を叫んでいるのが下から聞こえる。 状況の判らぬフーケに群衆の一人が松明を投げつけながら怒りをぶつける。 「貴様! よくも桟橋を壊してくれたな!」 「ちょっと…! 何言ってるか全然分からな…」 「とぼけるな魔女め!」 フーケの弁明など聞く耳も持たない。 それも当然か、盗賊である自分が何を言っても無駄。 貴族のみを標的にしたとはいえ義賊でもない自分に民衆の支持などある筈もない。 否。罵倒されて然るべき存在なのだ。 「降りて来い! 絞首刑に掛けてやる!」「いや、針串刺しの刑だ!」 「年増!」「それじゃ済まされねえ! 火炙りだ!」 暴言を吐き掛けながら石や武器を投げる町民達。 そんな物はゴーレムの力で一蹴できただろう。 しかし無駄な殺しなど彼女とてしたくはない。 どうせ連中には何も出来はしない。 全て耳から耳へと聞き流す…つもりであった。 「誰だい!? 今、中に紛れて年増って言った奴はッ!!」 ゴーレムの一蹴りで粉砕される屋台。 誰が言ったか分からないNGワードが彼女の逆鱗に触れたのだ。 宙に舞い散る破片に人々がきゃーきゃー言いながら逃げ惑う。 その光景は正に怪獣映画のワンシーン。 ゴーレム大地を揺らしながら民衆に襲い掛かる阿鼻叫喚の地獄絵図。 「チャンス!」 最初は状況に付いていけなかったキュルケだが、 我を忘れたフーケの姿を見て勝機を見出す。 既に仕込みも上々、後はいつ仕掛けるか機を待っていたのだ。 タバサへ目を向けると彼女も頷いて同意を示す。 そして杖を掲げ最後の『ウィンディアイシクル』を放つ。 無論、フーケとて完全に彼女達の事を忘れていた訳ではない。 咄嗟にゴーレムで両腕の防御を固めて防ごうとした。 だが放たれた氷の矢はゴーレムを通り越し背後の岩壁へと命中する。 外したのか? いや、そうではない。 初めから狙いはゴーレムではなかった。 振り返った彼女の目の前で岩壁に亀裂が入っていく。 思えばいかに俊敏といっても、この巨体ではそうそう魔法は避けられない。 なのに連中との交戦では直撃をほとんど受けていなかった。 それが相手の未熟と彼女は疑っていなかったのだ。 ゴーレムへの攻撃、それが全てカモフラージュ。 本当の目的は物質疲労で背後の岩壁を打ち砕く事…! 根元を砕かれて岩壁が崩れ落ちる。 その崩落は津波と化して瞬く間にゴーレムを飲み込んだ。 どんなに力があろうとも押し寄せる土砂の前では無力。 フーケもろとも巨人を麓まで押し流していく。 「さよーならー続きはまた今度ねー」 「アンタ等! 覚えてなさいよ!」 ぱたぱたとハンカチを振るキュルケにフーケが怒鳴る。 しかし、それも束の間。 見る見るうちにゴーレムの巨体も小さくなり視界から消えてしまった。 普通、これだけの土砂災害に巻き込まれたらまず助からない。 しかし相手は『土くれのフーケ』だ。 その内、またひょっこりと顔を出してくるだろう。 二人の大勝利に民衆が大歓声で彼女達を讃える。 それにキュルケが機嫌良く手を振って応えた。 なるべく被害が出ないようにしたつもりだが町の一部を破壊したのだ。 お咎めがあるのでは?という不安は解消された。 “土塊の巨人を倒した英雄”として彼女達は迎えられた。 笑顔で応じながらキュルケが背後のタバサに訊ねる。 (ねえ、ひょっとして世界中が傾いたのって私達の所為?) (違うと思う……多分) 「はぁ……はぁ…はっ…」 息を弾ませながらギーシュは銃を手に取る。 彼の周りには幾多もの矢と青銅の残骸。 アニエスが去った後、膠着を脱出するべく彼等は弓を持ち出した。 ボウガンではない、通常の弓だ。 威力こそ劣るがボウガンにはない利点がある。 それはこの盾を迂回して僕を攻撃できる事。 やや上向きに放たれた矢が盾を迂回し頭上から降り注いだ。 防ぐにはワルキューレを使うしかなかった。 自分に直撃するものだけを防ぎながら反撃を繰り返す。 そして気が付けば戦力は僕一人になっていた。 弾の装填に使うワルキューレもいない。 今手にしている銃を一発撃てば僕は丸裸だ。 そして頼みの綱のヴェルダンデも宿の下の岩盤を破壊できず、 地下道を通じての脱出も不可能となった。 魔力もなく銃も撃てない、最後に残されるのは命と誇りだけ。 (それで…十分だ!) もうどれぐらい経ったか分からない。 向こうも痺れを切らし突入してくる頃だろう。 ならばみすみす殺されるのを待つ必要はない。 こちらから打って出てやる! 「うおおおおぉおおお!!」 雄叫びを上げて入り口へと突進する。 盾から飛び出した瞬間、予想された攻撃は来なかった。 ならばもっと引き付けてからか…? だが、さらに前進を続ける僕の前に敵は姿を現さない。 既に目前には入り口が迫っている。 「っ………!」 そうか、読めたぞ。 僕が店から出てきた直後、四方八方から攻撃する気か。 それは正に総攻撃。どんな策があろうとも決して防げない。 だが、こちらの覚悟は決まっている! 一人でも多く道連れにして華々しく散ってやろう…! 「トリステイン王国に栄光あれーー!!」 店から飛び出しながら地面を転がる。 それは少しでも被弾を避ける為の回避運動。 そして待ち構えているであろう敵へと銃口を向けた。 しかし…。 「あれ?」 そこには誰もいなかった。 敵どころか人の気配さえしない。 あっちこっちに視線を向けるがやはりいない。 真っ暗闇の中でぽつりとギーシュ一人が取り残されていた。 彼は知らなかったが既に傭兵達は逃げ出していたのだ。 何しろ世界樹の傾斜騒ぎに武装した町民の行進。 果ては大規模な土砂崩れまで。 ラ・ロシェールの町で起きた異常現象に恐れをなした彼等は我先に逃げ出していた。 それを知らないギーシュはずーーっと一人で存在しない敵を待ち構えていたのだ。 無人となった通りで腕を組みながら彼は首を傾げる。 そして一応の結論を導き出し口にしてみる。 「ひょっとして…勝った、のかな?」 とりあえず銃を掲げ、えいえいおーと鬨の声を上げる。 しかし誰も周りには居らず自分の声だけが残響する。 勿論、手応えもないのに勝利の喜びなどある筈もない。 その後、脳内で歓声を受ける自分の姿を想像するも、 虚しくなったギーシュは店に戻って勝利の美酒という名の自棄酒を煽った…。
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ヴェルダンデの前足が地面を抉り取る。 地上を駆ける馬と変わらぬ速度で、アルビオンの地下を掘り進む。 どれほど進んだのか、残りはどれほどか等と考えたりはしない。 城の地下に到るまで穴を掘り続ける、その覚悟だった。 しかし、自慢の爪が突如として前方の土に弾かれた。 どうやら埋まっていた岩か何かにぶつかったらしい。 それがどれほどの大きさがあるのかは判らない以上、 迂回は致命的なロスに繋がりかねない。 故に、強行突破を決断する。 今の自分を止める事は誰にも出来ない。 シャベルのように揃えられた爪がギラリと輝く。 そして、そのまま渾身の力を込めて振り下ろした。 だが、鈍い音を立てて尚も障害は爪を弾く。 その頑丈さに唖然としつつも、ヴェルダンデは諦めない。 こうなれば気力が尽きるのか先かの根競べである。 いつもの三倍の回転を加えたり、前足を光って唸らせたりと執拗に攻撃を繰り返す。 そして遂にその努力が実ったのか、目前の障壁に亀裂が走った。 おおっ!と自分の勝利に沸くヴェルダンデ。 だが、その目前で自壊するかのように亀裂が広がっていく。 見れば、岩だと思っていたそれは人工的なブロックの集合体。 破裂する寸前の風船というべきか、自分が付けた小さな傷をキッカケにして、 内側からの圧力に耐え切れなくなった外壁が崩壊しようとしているのだ。 この壁の向こうに何があるのか判らない。 しかし直感的に危機を察知したヴェルダンデは即座に土を掛けて埋め戻す。 まるで“見なかったことにしよう”と言わんばかりに。 イタズラを隠す子供のような姿だが、本人は至って真剣だ。 だが壁の崩壊を防ごうとする、その行動も無駄に終わった。 壁を打ち砕いて吹き出したのは荒れ狂う濁流。 洪水ともなれば家屋さえも容易く飲み込む勢いの前では、 ヴェルダンデであろうとも例外なく無力。 元来た道を倍以上の速度で流されていく。 「な…なんだ、何が起こったんだ!?」 地下から響き渡る轟音と振動。 それに驚いたギーシュが咄嗟に穴を覗き込む。 浮遊大陸のアルビオンで地震など起こり得ない。 考えられる要因は唯一つ。 「ヴェルダンデ! 無事かい!?」 自分の使い魔からの返答は無い。 何が起きたか判らず不安に揺れるギーシュの前に、 『言葉通り』ヴェルダンデが飛び出してきた。 それも波濤を伴って砲弾の如き速度で! トンネルから凄まじい勢いで吹き上げる水柱と、 ぽーんと宙に打ち上げられるヴェルダンデの巨体。 それに弾き飛ばされてギーシュも空を舞う。 主従が地面に叩き付けられると同時に、 吹き出した水が雨となって降り注ぐ。 「…多分、水道に穴を空けた」 「まあ無事に済んだだけでも儲けモノよね」 コートで雨を防ぎながらタバサが冷静に分析する。 キュルケは気にも留めず、腰に両手を当てて溜息をついている。 見れば、水に濡れたブラウスが肌に張り付いて透けている。 そんな裸にも見える格好を隠そうともしない彼女に、 何故かタバサの方が恥ずかしく思えてしまう。 止む無くギーシュが起きる前に、荷物の中からタオルを取り出して彼女にそっと掛ける。 それにキュルケが感謝の笑みで応える。 他に人がいたら仲のいい姉妹だと思うだろう。 「痛たたた…」 腰を擦りながらギーシュが身を起こす。 不測の事態に『レビテーション』さえ使えなかった。 見渡せばヴェルダンデも起き上がり、濡れた体を振るって水気を飛ばしていた。 唯一の救いはヴェルダンデが無事だった事ぐらいか。 今の異変に兵士達も気付き、こっちにむかって一団が移動しつつある。 迎撃するのは容易いが、それでは騒ぎを大きくするだけだ。 次から次に敵に押し寄せられては壊滅は火を見るより明らか。 焦るギーシュの視界の端で何かが蠢く。 敵かと警戒する彼の目の前に現れたのは、地面に横たわる見慣れた犬の姿。 “何で彼がこんな所に…?” その疑問を口にする間もなく彼は跳ね起きた。 そして辺りを見回して城の位置を確認すると、 落ちていたデルフを拾って丘を凄まじい勢いで駆け下りる。 突如現れた獣に困惑する敵の合間を抜けて、一目散に走り去る。 それを見送りながらギーシュも続こうとした。 「よし! 今なら敵陣も乱れている! 敵中突破できるかもしれない!」 しかし、走り出そうとするその襟にタバサが杖を引っ掛ける。 鶏が絞め殺されたような声を上げるギーシュに彼女は説明する。 「私達はこっち」 彼女が指差す先にあるのは、今も水を湛えるヴェルダンデのトンネルだった。 ニューカッスル城内の礼拝堂。 そこには始祖ブリミルの像の前に立つウェールズの姿があった。 彼が着ているのは皇太子の礼服。 本来は国王の礼服を着るべきなのだが、 ウェールズ用に仕立て直した物など準備できる筈も無い。 それでもパーティの際にも軍服を着ていた彼だ。 礼服に着替える事自体が、この式に掛ける彼の想いの表れだった。 そのウェールズの前に立つのは、式を挙げるルイズとワルドの両名。 二人とも緊張しているのか、無表情なまま壇上に立つ自分を見上げる。 「それでは、これより式を始める」 ウェールズの厳かな宣誓が礼拝堂に響き渡る。 そして僅かに咳払いし、古くからの伝統通りに続ける。 「この式に異議のある者は今すぐに名乗り出よ。 それが出来ぬというならば永久にその口を閉じよ」 自分で言いながら呆れてしまう。 今、この場にいるのは自分を除けば二人だけ。 一体、どこの誰が異議を申し立てるというのか。 儀礼の決まり事とはいえ無駄な手順に苦笑いを浮かべる。 だが、両者の意思を確認する次の段階へ進もうとした瞬間! 礼拝堂の扉は大きな音を立てて開け放たれた! 三人の視線が、突然の侵入者へと向けられる。 そこには小銃を構えるアニエスがいた。 その銃口の先にはワルドの姿を捉えている。 背にはもう一挺の銃を背負い、腰には剣を帯びていた。 まるで戦にでも赴こうかという重装備。 とても仲間の門出を祝うような格好ではない。 「アニエス! 冗談なら今すぐ止めるんだ!」 「無礼は承知の上! ですが陛下に聞いて頂きたい事があります!」 それを証明するように、彼女の指先は引き金に掛かっている。 アニエスの気迫に飲まれて、ウェールズの言葉が詰まる。 追い払ったと思った彼女の登場に、ワルドが苦虫を噛み潰した表情を浮かべた。 「ワルド子爵は水の秘薬を用い、彼女の心を操っています!」 「下らん世迷言を! 陛下、耳を貸してはなりません! そして神聖な儀式を妨害した彼女にこそ処罰を!」 アニエスの言葉をワルドは否定する。 突然の乱入から始まった口論にウェールズも困惑していた。 しかしアニエスの言う事にも一理ある。 それほどまでに彼女の態度の急変化は異常だった。 たとえ、結婚式や決戦を後に控えていたとしてもだ。 だが、それも薬の所為というのなら頷ける。 感情を失ってしまったかのような少女を見据える。 彼女の姿を見て、ウェールズは何か引っ掛かりを感じた。 心を狂わせる薬ならば惚れ薬の類だろう。 けれども彼女の様子はそういった者達とはどこかが違う。 その上、ウェールズには確かな覚えがあった。 彼女と同様、虚ろな表情をした人間の姿に。 「ならば『ディテクト・マジック』を! 疑いが晴れたならば私は喜んで罰を受けましょう!」 「減らず口を…!」 奥歯を噛み締めたワルドが杖に手を掛ける。 このままアニエスを殺すのは容易い。 だが、彼女を殺せばウェールズに警戒されるだろう。 いっその事、彼女に従いルイズに『ディテクト・マジック』を掛けるか? 虚無の魔法だというのならば、簡単に探知出来るとは思えない。 しかし、例え僅かであろうと露見する危険があるなら避けるべきか。 ちらりとワルドが視線を背後に向ける。 そこには何の危機感も無く立ち尽くすウェールズの姿。 それを見て口元に僅かな笑みを浮かべた。 (殺るなら…今か) 「いいだろう! ならば我が手で無実を証明しよう!」 ワルドが大仰に杖を掲げる。 口元で呟くルーンは小声で聞き取れない。 二人の視線がルイズに向けられた瞬間、彼の杖を中心に風が巻き起こった。 彼女に向けていた杖が一転、ウェールズへと突き出される。 刹那。ウェールズとワルド、両者の間に鮮血が飛び散った。 抉られた脇腹を抑えながらウェールズの身体が壁際に吹き飛ばされる。 獲物を仕留め損ねたワルドの口から舌打ちが漏れる。 彼が狙って弾き飛ばしたのではない。 斬りかかる直前、危機を察知したウェールズが背後に飛んだのだ。 「ワルド子爵。君は…『レコンキスタ』の手の者か?」 苦悶の声に混じってウェ-ルズが問い詰める。 彼にはルイズの様子に思い当たる物があった。 それはアルビオンを裏切った重臣達の態度だ。 他者の意のままに操られる人形と化した者達の姿。 それに気付けたからこそ、ワルドの不意打ちにも対応できた。 だが、ワルドは答える必要はないとばかりに風を纏い突進してくる。 体勢を崩したウェールズに避ける術はない。 そして傷付いた身体では満足に杖も握れない。 ワルドの猛攻を前に、彼の杖は弾かれ床の上を滑っていく。 武器を奪い、勝利を確信したワルドが杖を突き出す。 しかし、直前で彼は攻撃の手を止めて背後に跳躍した。 その直後、彼の眼前を一発の銃弾が通り抜ける。 ワルドが忌々しく睨む先には、白煙を上げる銃口を向けるアニエスの姿。 彼女は即座に撃ち終わった銃を捨てて、背に負った銃を構え直す。 「動けば…撃つ」 それで脅しのつもりだろうか、彼女の言動にワルドは苦笑いする。 どこから来るのか分かっている銃など恐れる必要はない。 何の苦も無く風で弾道を曲げられる。 ウェールズが杖を失った今、僕を止められる相手はいない。 もはや何の脅威も感じず、ワルドはウェールズを始末しようとした。 しかし、次にアニエスが告げた言葉が彼の動きを止める。 「勘違いするな、貴様ではない。 私はミス・ヴァリエールを撃つと言ったのだ!」 「何だと…!?」 彼の目が驚愕に見開かれる。 見れば、銃口は確かにルイズへと向けられていた。 ウェールズを討ちにいったが為に、彼とルイズとの距離は離れている。 今からでは助けに向かう事さえ出来ない。 たとえ、アニエスを討とうとしてもルイズと刺し違えるだろう。 「貴様、正気か!?」 「彼女とて売国奴に従うぐらいならば死を選ぶ!」 アニエスはそう確信していた。 短い間だったが共に過ごしてきた仲間だ。 彼女の誇りは痛いほどに理解できる。 時には不愉快に感じた事もあったが、それでも彼女はルイズを認めていた。 だからこそ今の彼女の姿は見るに忍びない。 元に戻らないというのなら、せめて自分の手で楽にしてやりたい。 そんな気持ちが胸の内より込み上げてくる。 何故ワルドがミス・ヴァリエールにそこまで執心するのか。 その理由は判らないが、利用できるならなんでも利用する。 杖を下ろし、ワルドは抵抗する素振りを見せない。 それでもアニエスは注意を払い続ける。 もし、僅かでも隙を見せれば自分が死ぬと判っているから。 膠着状態が続く中、不意にワルドが口を開く。 「売国奴…? それは違う、僕は誰よりもあの国を愛している。 父が愛し、母が愛した、美しきトリステインを…!」 「戯言を…! それが国を裏切った者の言う事か!」 「僕は取り戻したいだけだ! あの誇り高き貴族の時代を! 偉大なる王と勇敢な騎士達が集う、あのトリステインを! 宮廷に蔓延る、利権を貪るだけの寄生虫共からッ!!」 激昂するワルドの雄叫びに彼女は怯んだ。 それは本心からの言葉だったのだろう、 いつの間にか彼の表情からは仮面が剥がれ落ちていた。 ハァハァと荒い息を吐きながらワルドは睨み続ける。 アニエスではなく、彼女の背後に見えるトリステインの重臣達を。 彼にとって心の支えは貴族としての誇りだった。 母親を失ってからは彼に残されたものはそれだけとなった。 幼き日より憧れ、ずっと理想を追い求め続けた。 その果てに辿り着いたのは落胆だった。 誰も国の明日など考えもせず享楽に明け暮れ、 餌に群がる豚のように利益を奪い合うだけの宮廷。 そして、それを咎める事さえ出来ない無力な姫。 彼がトリステインに絶望するのは時間の問題だった。 衛士一人が現状を変えられる筈も無い。 そんな宮廷に染まる事も出来ず、純粋だった心は醜く歪んだ。 そして彼は願ってしまった、全てを犠牲してでも取り戻したいと。 「君ならば判るだろうアニエス! あの国の中枢が腐り切っている事を! 二十年前のダングルテールの虐殺を生き延びた君ならばッ!」 「っ……!」 びくりと彼女が体を震わせる。 自分の過去が知られていた事に僅かに動揺を示す。 しかし、ワルドはそれを見逃しはしない。 畳み掛けるように彼はアニエスに手を差し伸べた。 「もし君が『レコンキスタ』に来るというなら受け入れよう。 わざわざ信頼を得て登りつめる必要も無い。 君が仇を討とうというのなら最善の道だろう」 ワルドの誘いに彼女は揺れた。 確かに今のままでは仇を討つのに、 どれだけ時間が掛かるか知れたものではない。 ましてや『レコンキスタ』相手にトリステインが勝てる保証はない。 少しでも早く同胞の無念を晴らしたいというなら、 トリステインから『レコンキスタ』に鞍替えすべきだと判っている。 それなのに彼女は頷けずにいた。 その迷いがどこに起因するのか判らずに戸惑う。 不意に、彼女の掌に痛みが走った。 目をやれば、そこには血に染まった布が巻かれていた。 それは割れた硝子を握り締めた傷跡。 (ああ、そうだったな…) ぎゅっと小銃を握り締めて構え直す。 動揺に震えていた照準が再び平静を取り戻す。 そして、高らかに返答を告げた。 「断る」 「な、に…?」 ワルドが思わず聞き返す。 彼はアニエスが受けると確信していた。 復讐に囚われた者は、目的の達成しか目に入らなくなる。 それなのに彼女は誘惑を断ち切ったのだ。 予想を裏切られた彼が何故だと呟く。 それに笑みを浮かべて彼女はハッキリと答えた。 「知らなかったのか? 私は“おまえのような貴族”が大っ嫌いだと」
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「さて、準備はいいな」 風竜に跨りワルドは周囲を見渡した。 彼を取り巻くように集う竜騎士隊。 ワルドの姿を捉える彼等の眼には感情らしき物は感じられない。 内にあるのはワルドへの畏怖のみ。それが彼等を突き動かす。 満足したかのようにワルドは笑みを浮かべて腰に差した杖を抜いた。 「我々の目標はただ一つ。他には目もくれるな、それが何であろうともだ」 杖の先端が地上の一点を指し示す。 ここからでは豆粒のようにしか見えない標的。 それはアンリエッタ姫のいるトリステイン本陣ではなかった。 だが、それに何の反応も見せず彼等は指示された地点へと飛び立った。 遅れるように続くワルドの背を眺めながらフーケは呟いた。 「怪物にならなきゃ倒せない……そうまでして勝つ意味はあるのかい?」 トリステイン本陣より離れた丘の上。 そこに陣取ったバオーは群がる敵兵に苦戦を強いられていた。 敵は命を捨てて彼へと攻撃を仕掛けてきている。 それほどまでの覚悟を持った相手を殺さずに倒す。 到底出来る事ではない。だが、やるのだ。 無数に積み重ねた屍の上で泣く自分の姿をルイズには見せたくない。 壊されぬように“光の杖”を庇いつつ、彼は敵と刃を交える。 振り下ろした剣が蒼い刃に重なる。 倍以上の厚みはあろうかという大剣は、 糸を引くような容易さで薄刃に両断された。 武器を失っても尚、兵士は眼前の怪物に掴みかかる。 その腕を躱しながら懐へとバオーは潜り込んで衝突する。 鈍い音を立てて変形する兵士の鎧。 衝撃が内臓にまで届いたのか、その口元から血が零れ落ちる。 だが、それでも兵士はバオーの身体を掴む。 そして血液を吐き出しながら男は力の限り叫んだ。 「貴様は…生きていてはならんのだ!」 男の瞳にはアルビオンを蹂躙するであろう怪物の姿が映っていた。 祖国、家族、友人、様々な想いを背負った男がバオーの首を締め上げる。 しかし、それも一瞬。バオーは首を男ごと振り回して投げ飛ばす。 力ずくで引き剥がされた男が敵の集団の中を転がり巻き込んでいく。 それでも怯む事なく敵兵は我先にとバオーに押し寄せる。 その後方で足が竦む新兵を老士官が叱咤する。 「退がるな! あれは倒さねばならぬ敵、そして我々は……軍人だ!」 息巻くアルビオン軍とは裏腹にトリステイン軍の足取りは重い。 否。彼等の動きは完全に止まっていた。 ……目の前で暴風のように荒れ狂う蒼い獣の姿によって。 牙が鉄柱じみた槍を噛み砕き、前足の一振りで数人の兵士が弾き飛ばされる。 取り囲もうとした鉄砲隊が火矢と化した体毛に蹴散らされる。 檻の如く迫り来る幾多もの剣が横薙ぎに一閃されて断たれる。 トリステイン王国の為に命を惜しむつもりはない。 だが、正体さえ分からない怪物の為に戦う気力は沸きあがらない。 アルビオン兵は敵とはいえ同じ人間なのだ。 それを藁でも払うかのように蹂躙する怪物に彼等は躊躇った。 未だにバオーが誰も死なせていない事実に気付けば変わったかもしれない。 ギーシュやニコラの怒声も彼等を動かすには至らない。 この広い戦場の中、彼が仲間と呼べるのは一握りの人間だけだった。 「どいて! お願い邪魔しないで!」 ルイズが叫び声を上げながら人垣を押し退ける。 立ち止まった兵達の合間を縫うようにルイズは彼の下へと向かっていた。 彼のルーンを伝わって感じる孤独、それが彼女の心を苛む。 今すぐに伝えたい、私はここにいると。 たとえ世界が敵に回ったとしても私達はずっと傍にいる。 だから悲しまなくていい。誰からも理解されずに苦しまなくていい。 一緒にいてあげる。一人では背負い切れない力と責任だって二人なら、きっと。 「嬢ちゃん、上だ!」 デルフの警告がルイズの鼓膜に響く。 声に反応して上を向いた彼女の眼に竜騎士隊の姿が映った。 気付いた周囲の兵達が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。 それに続くようにルイズも逃げ出そうとした。 だが振り返った先には逃げ場を塞ぐように飛来する火竜。 その瞬間、彼女は気付いた。 この竜騎士達の目的はバオーでも、集結した兵団でもなく―――。 「逃げろ! こいつらの狙いは嬢ちゃんだ!」 デルフの叫びは幾つもに折り重なった羽ばたきに紛れて聞こえなくなった。 竜の翼が生み出す突風に負けじとルイズは足を踏ん張る。 乱れた前髪が視界にかかって邪魔する中で、彼女はハッキリと彼の姿を捉えた。 自身を見つめて歪な笑みを浮かべるワルドの姿を。 近くに駆け寄るルイズと、彼女を包囲する竜騎士達。 その存在を触角とルーンで感じ取ったバオーは即座に行動に移した。 乱戦の中で“光の杖”を上空へと構え直す。 バオーの体を駆け巡る生体電流が咥えたコードから“光の杖”へと伝わる。 その瞬間、“光の杖”は本来の力を取り戻して起動する。 落雷に匹敵する莫大な電気エネルギーは光に変換されて放たれる。 高出力レーザーより放たれた光が火竜の翼だけを切り落とす。 高速で移動する竜が落ちれば無事では済まない。 だが、光が放たれるよりも早く彼等は竜より飛び降りた。 加速がついたまま、それを弱めようともせず地面へと吸い込まれていく。 咄嗟にレーザーで竜騎士達の手足を切り飛ばすも間に合わない。 衝突寸前でレビテーションを唱えた数人の騎士がルイズの近くへと降り立つ。 「ひっ……!」 トリステイン兵が悲鳴を漏らした。 その騎士の一人は完全に腕を失っているにも関わらず、平然とその場に立っていた。 まるで何かに操られる人形のように感情を失った眼がルイズへと向けられる。 直後、赤い血飛沫が周囲に飛び散った。 悲鳴を漏らしたトリステイン兵の喉が二つに裂かれる。 ルイズの傍に残った二名を除き、他の竜騎士達は手当たり次第にトリステイン兵を殺し始めた。 いかに数が多くともメイジを相手に統制も取れぬ状態では抵抗出来るはずもない。 駆けつけようとしたギーシュ達が逃げ惑う兵士達に阻まれる。 恐らくはそれが狙いなのだろう。 ただ足止めをするためだけに人の命を奪い取る。 ルイズが彼等に感じた感情は恐怖ではなく嫌悪だった。 「久しぶりだねルイズ」 あの時をなぞるようにワルドは彼女に言った。 だが、そこにいたのは実家の庭で会った青年でも、 ラ・ロシェールの森で再会した若き衛士でもなかった。 それは彼女が見た事もない、おぞましい存在だった。 自分を蔑むように見つめるルイズの視線。 しかしワルドは、もはや何も感じない。 憐憫を向けられた時に感じた揺らぎはない。 真っ向から自分を見据える少女。 その手には輝く“水のルビー”と“始祖の祈祷書”があった。 ワルドが一歩近寄る度に、ルイズが一歩下がる。 それが彼女が出来る最大限の抵抗かとワルドは笑った。 確かに彼女にはワルドと戦う力がなかった。 だが、それも少し前の話。 今の彼女にはワルドなど歯牙にもかけぬ力、“虚無”がある。 「……ワルド。それが貴方の本性なの?」 「さあな、僕にも分からんよ。そんな些細な事はどうでもいい」 この時、ワルドは気付けなかった。 彼女の問い掛けの意味に気を取られている間に、 ルイズの指先が抱えた祈祷書のページを捲っていた事を。 そのページには虚無の初歩の初歩の初歩、 『エクスプロージョン』の呪文が記されている事を。 彼は咥えた“光の杖”を近くにいたトリステイン兵士へと放った。 突然受け渡されて呆然とする兵士には構う事なく、 彼は続け様に“メルティッディン・パルム”を地面に放った。 溶解液が浸透した足場が瞬時にして泥と化す。 未知の攻撃にアルビオン兵達の間で混乱が生じた。 その機を逃さず、彼は兵士達の上を駆けた。 彼等の背を、頭を蹴り進みながらルイズへと直走る。 その彼の目の前で、ルイズは祈祷書を大きく広げて杖を掲げた。 「エオ―――」 「止めろ嬢ちゃん!」 虚無の詠唱を口にするルイズをデルフが制止する。 だが、どちらも手遅れだった。 彼女の鳩尾に深々と靴の爪先が突き刺さる。 一歩踏み出して放たれたワルドの前蹴りは呆気ないほどに容易く決まった。 「がはっ…」 詠唱の代わりに漏れるのは苦悶と唾液。 足を引き抜かれた瞬間、彼女は立ち上がる事さえ出来ずに膝をついた。 その彼女にワルドは警戒する様子も無く近寄って髪を掴んだ。 「今のは聞いた事もない詠唱だったが……まさか“虚無”か?」 「……………」 髪を掴んで引きずり起こしワルドは訊ねる。 だがルイズは答えようとはしない。 痛みを堪えながらワルドの顔を睨みつけた。 落とした祈祷書に眼を向ければ、ただの白紙。 しかし、ただのハッタリではない。 ほんの一瞬だったがワルドは確かな恐怖を感じたのだ。 彼女の沈黙を了承と受け取り、ワルドは続けた。 「だが迂闊だったな。“虚無”といえども詠唱できねば無意味だ」 「っ……!」 デルフが悔しげにワルドの言葉を聞き続ける。 そうだ。その為の使い魔であり“ガンダールヴ”だ。 だが、嬢ちゃんは相棒を想って引き離してしまった。 その事がここに来て裏目に出るなんて…。 過去を悔いても結果が変わる訳ではない。 それでもデルフは、もし自分が止めていればと思わずにはいられなかった。 直後、デルフリンガーの柄に手が伸びた。 掴んだのは細く白い指先。 痛みに震える手は握力を失い、カタカタと鍔を鳴らすだけ。 しかしルイズの眼は翳りを見せずワルドの姿を射抜く。 彼女の姿を無言でワルドは見つめる。 手足を震わせ、口からは荒い吐息で苦悶。 満足に剣を取る事もできずにふらつく足取り。 そこからは貴族らしい潔さも気品も感じ取れない。 それでも尚、彼女は勝てぬ相手に牙を剥こうとする。 かつての婚約者の醜態に思わず目を覆いたくなる。 拳を握り締め、ワルドは手の甲でルイズの左頬を打ちつけた。 ひどく鈍い音がした。ルイズの体が崩れ落ちる。 だが髪を掴んだ手が倒れる事を許さない 力任せに引き上げて彼女の顔を拝見する。 殴られたルイズの顔は赤く腫れ上がり、 口の中を切ったのか、唇から血が滴り落ちていた。 「……不愉快だ」 「ええ。私もよ」 それでもワルドは溜飲は下がらない。 何故ならルイズは今も恐れる事なくワルドを睨み続けているのだ。 ギチリと先程よりも固くワルドの拳が作られる。 ルイズは目を背けずに真っ向から向かい合う。 その刹那、ワルドは弾けるように背後に振り返った。 そこに立っていた騎士が杖ごと胴体を切断される。 切断面から噴水のように噴き上げる血液。 「ウオォォォームッ!」 蒼い獣が咆哮を上げてワルドへと迫る。 憤怒か憎悪か、激しい感情がその身を包む。 鍛え上げられた竜騎士を一太刀で屠る怪物。 だが、ワルドはその威容に歓喜さえも覚えた。 これだ。これこそが僕が倒すべき敵。 全てを賭けて挑む価値のある存在なのだ。 振り下ろされるセイバー・フェノメノン。 しかし、それはワルドの直前で止まった。 刃の先にあったのは盾にされたルイズの身体。 動きを止めたバオーの前足を風竜の牙が捕らえる。 ミシリという鈍い音と共に刃と装甲に亀裂が走った。 引き裂かれた傷口から溢れ出すバオーの血液。 バオーに喰らいついたまま風竜は宙を舞った。 その背にはワルドと服を掴まれたルイズを乗せて、 瞬く間に地上から遠く離れ去っていく。 片腕を封じられたバオーに容赦なく迫るワルドの杖。 それをもう一方のセイバー・フェノメノンで防ぐ。 だが貫かれた腕からは絶えず出血が続き、 枯れ枝が折れたような、骨が噛み砕かれる音が響いた。 その凄惨な光景を目にしてルイズは覚悟を決めた。 私の所為だ。今、アイツがやられているのは私の所為だ。 アイツ一人ならワルドにだって勝てるのに。 足手まといになんてならない。 ―――私だって戦えるんだ。 「ワルド!」 突然、名を呼ばれ振り返らずも視線だけをルイズに向ける。 彼女の眼は真っ直ぐに自分を捉え、その手は彼女の服に掛かっていた。 掴んでいるブラウスのボタンが既に幾つも外されている。 その意図に気付いた瞬間、彼女は止められる前に行動に移した。 「お別れよ」 掴まれたブラウスからルイズが袖を抜く。 直後、彼女の身体は宙へと投げ出された。 ブラウスだけを残して彼女は地上へと吸い込まれていく。 桃みがかった長い髪が風に靡いた。 彼が気付いた時には、主である少女の姿は視界から消えていた……。
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「左舷より竜騎士二騎接近!」 「『イーグル』号の姿はまだ確認できないのか!?」 「この濃霧の中では何も分かりません。あるいは逸れた可能性も…」 「引き続き捜索を続けろ! 動ける者は消火に当たれ!」 次々と齎される状況報告を耳にしながら、船長の顔を冷や汗が伝う。 地下空洞を抜けた『マリー・ガラント』号を待ち受けていたのは、 空において比類なき戦力を持つアルビオンの竜騎士隊を率いるワルドだった。 霧に視界を奪われた上に、周辺に浮かぶ岩礁が船足を殺す。 ましてや交易船に竜騎士を相手する力などはない。 甲板は炎に包まれ、砕かれた船体の一部が無残に内部を晒している。 乗組員の中にも負傷者が続出し、板を打ち付けるだけの応急修理が精々。 そんな、いつ撃沈されてもおかしくない攻勢を受けながら船は突き進む。 『マリー・ガラント』号が沈められなかった理由は二つ有る。 一つは、この船に乗ったルイズの存在だ。 ワルドにとって彼女を奪取する事が何よりも優先される。 その為、間違っても彼女を殺さぬように艦橋や船室を避け、 舵やマストに集中して攻撃を仕掛けて来ているのだ。 ただ皆殺しにするだけならば壊れた外壁から炎を吐き掛ければ事は済む。 そして、もう一つ。 竜騎士隊を妨害する者がそこにはいたのだ。 青い風竜を駆り、炎と風の魔法を操る二人のメイジ。 しかも彼女達はこちらの意図を把握し、要所の守りだけを固める。 彼女達がいなければワルドは船へと乗り込んでルイズを確保していただろう。 赤と青、風に靡く二人の髪の色がワルドの眼に苦々しく映る。 (もう! ここ凄く飛びにくいのね!) (……我慢) (嫌! 嫌なのね! シルフィの羽に傷が付いちゃうのね!) 船外を取り囲む岩礁を巧みに避けながらシルフィードが愚痴る。 それを何とか宥めながらタバサは周囲の敵を警戒する。 自分の使い魔は嫌っているが、この霧と岩礁が助けとなっている。 竜騎士の本領は他の竜騎士との連携によって発揮される。 だけど岩礁で思うようには動けず、霧の所為で互いの姿が目視出来ない。 故に、『マリー・ガラント』号に向かってくるのは主に単騎。 集団行動が取れていない相手ならば、彼女達でも防ぐ事が出来る。 そして何よりもキュルケの活躍があってこそだ。 『微熱』の二つ名に相応しくないほど、烈火の如く怒りに猛る彼女の炎。 それは術者の心を反映するかのように激しい物だった。 精神力の消耗さえも考えずに竜騎士隊に炎が降り注がれる。 視界も利かない中、突如として襲い来る猛攻に彼等も二の足を踏まざるを得ない。 下手に飛び込んで直撃を受ければ無事では済まないと分かっているからだ。 加えて、火竜であれば誘爆の危険性だって考えられる。 「居るんでしょう、ワルド! 隠れてないで出てきなさい! あの子にした事への落とし前、ここでキッチリ付けさせて貰うわ!」 彼女の麗しい顔立ちとは裏腹に、荒々しい言葉が口を突いて出る。 感情の高ぶりが、キュルケの力を一時的に底上げしているのだろう。 あれだけの魔法を放ち、まだ余力を残す彼女の姿に驚きを隠せない。 先の見えぬ脱出行にタバサは僅かな希望を見出していた。 「……下らんな」 キュルケの見え透いた挑発を聞き流し、 たった一騎で奮戦する敵を具に観察する。 閣下より与えられた兵達が火竜なのに対し、相手は機動力に勝る風竜。 体格的に見て成体ではないだろうが、それ故に小回りも利く。 主人とよほど深い信頼で結ばれているのか、 その巧みな機動には自分をして眼を見張る物がある。 これでは個々で仕掛けた所で意味はあるまい。 この戦況を変えるには、自分から打って出るしか無いだろう。 だが、僕にはそんなつもり更々無い。 騎乗の腕に掛けては右に出る者がいないと自負しているが、 負傷した今の状態で十全の実力は出せはしないだろう。 それに奴との戦いで精神力の大半を損耗した。 ともすれば万が一という事も有り得る。 それに、そんな事をしなくても自分は既に勝っているのだ。 もうすぐ『マリー・ガラント』号は岩礁と霧の中から抜け出す。 だが、そこに広がるのは一面の星空などではない。 その先には貴族派が誇る大艦隊の包囲網が待ち受けている。 確かに僕の竜騎士団は船の確保には失敗した。 しかし、連中の気付かぬ内に誘導させる事には成功していた。 岩礁や竜騎士の攻撃によって脱出路を限定させて追い込む。 所詮、相手は戦闘経験も無い交易船。 危険を察知する本能に劣る分、狩りよりも遥かに容易い。 「チェックメイトだ」 自分の意思とは関係なく口元に浮かぶ笑み。 薄霧の中を往く『マリー・ガラント』号を見据え、ワルドは楽しげに呟いた。 「霧を抜けるぞ!」 次第にその濃度を薄めていく霧を見て、マストの上のギーシュが叫ぶ。 彼は倒れた船員に代わり『マリー・ガラント』号の“目”の役割を務めていた。 何度も折られかけたマストは錬金とワルキューレで必死に持ち堪えている。 標的と定められている場所に彼は震える足を堪えながら立ち続ける。 次々と襲い掛かってくる竜騎士を前に何度逃げ出そうとしただろうか。 それでもギーシュは退かない。 見上げれば、そこには多数の竜騎士を相手に戦う少女達の姿。 自分がいるマスト以上に危険な最前線に彼女達はいる。 女性に戦いを任せて、自分は船室でブルブル震えていて良いのだろうか。 否。断じて許される訳が無い。 彼が信じる貴族の誇りはそんな無様を許さない。 出来る事ならば、自分が先陣に立って戦うべきなのだ。 だけど、それだけの実力が今の自分には無い。 だからこそ自分が出来る事を全うしようと心に決めた。 自身の心中と同様、澄み渡っていく空。 そこには彼等の行く末を祝福するかのように、二つの月が輝いていた。 「バカな…!」 目の前の光景を信じられないのはワルドだけであった。 此処には確かに艦隊が布陣している筈だった。 しかし、そんな物は影も形も見当たらない。 濃霧で方向を見失う等という失態は犯していない。 指示した場所には間違いは無かった。 だとすれば艦隊に何かあったというのか? 「ワルド隊長ッ!!」 先行した艦隊との連絡役が帰還する。 その様子からして不測の事態である事は分かっていた。 だが、艦隊の足を止めるほどの大事が起きるとは思えない。 事の真相を聞きだすべくワルドは部下に話を促す。 「目下、艦隊は敵の反撃を受けて応戦中! とても包囲には間に合いそうにありません!」 「反撃だと? 敵の戦力など高が知れている。 相手は竜騎士隊か? それとも、まさか奴が…!?」 「敵勢力は『イーグル』号一隻のみ! こちらの砲撃には一切構う事なく、旗艦『レキシントン』に向かっています!」 部下からの報告にワルドが舌打ちする。 もはや『レキシントン』を制圧する力も残されていまい。 進退窮まっての特攻か、見苦しいにも程がある。 されど相手は一隻、その程度の抵抗で遅れが出るだろうか? それとも『イーグル』号以外の伏兵を警戒しているのか。 他の無能共ならいざ知らず、少なくともミス・シェフィールドは違う。 彼女は『イーグル』号に何かしらの危険を感じているのだろう。 それが何なのか、彼には理解できなかった。 瞬間。ワルドの脳裏に閃きが走った。 ウェールズの立案では城門は爆破される予定だった。 しかし彼が城門を制圧した際、終ぞ火の秘薬を発見する事は出来なかった。 『マリー・ガラント』号から奪取した硫黄を元に、彼等が火の秘薬を合成していた事は間違いない。 結局は運び込まれなかったと見て放置していたのだが、 そこに使われる予定だった火の秘薬は何処に消えたのだろうか。 符合する二つの事実が彼に危険を告げる。 「直ちに旗艦の援護に向かう! ここは任せたぞ!」 「はっ!」 踵を返し本陣へと帰還していくワルドの背を見送った後、 敬礼していた男が唾を吐き捨てた。 彼はワルドの事が気に入らなかった。 最強と謳われたアルビオン国王直属竜騎士隊にこそ選ばれなかったが、 自分の実力はそれに匹敵する物だという自負がある。 それを認められたからこそ精鋭を集めた竜騎士隊の隊長を任されたのだ。 しかし、その座は後から現れたワルドに容易く奪われた。 確かに功績自体には目を見張る物がある。 だが、それも裏切りという恥ずべき行為があってこそだ。 その程度の事ならば奴でなくても誰にでも出来ただろう。 ましてや大した兵もいないニューカッスル城で手傷を負うなど、 精強を誇るアルビオン貴族派のメイジにおいては考えられない事だ。 そんな人間の下に就かなければならない不遇を、彼は呪った。 これはそんな自分に訪れた千載一遇の好機と確信した。 未だに交易船一隻沈める事さえ出来ずに現場を放棄したワルドに代わり、 自分が部隊を指揮して戦功を上げれば自ずと評価は逆転する。 そうすれば自分が隊長に成り代わる事とて夢ではないだろう。 「余所者に好き勝手やられてたまるか…! アルビオンの空は俺達の物だ!」 男の手が高々と上げられる。 それは竜騎士隊の総攻撃を示すサイン。 交渉する相手もいないのに、わざわざ非戦闘員を捕虜にする意味はない。 そう判断した男は早期に決着をつけるべく指示を飛ばした。 ワルドが指揮する事を前提にしていた為、彼には知らされていなったのだ。 この船を沈めてはならないという重大な命令を。 撃ち込まれた砲弾が外壁を砕き、船内に破片を舞わせる。 足に刺さった木片を引き抜きもせず、船員は尚も艦隊に撃ち返す。 それは砲撃戦というには、あまりにも一方的だった。 こちらが一度撃つ間に百を超える砲撃を浴びせられているのだ。 ここまで撃沈されずに来れたのは『イーグル』号の性能と、 それを生かす優れた船員達の腕と、何よりも僥倖があればこそだった。 「もう撃ち返す必要はない。 我々は艦隊の戦列に踏み込んだ…我々の勝ちだ」 船内に副長の言葉が静かに響き渡る。 圧倒的な火力を誇る彼等にとって真に恐れるべきは、 『イーグル』号の砲撃ではなく艦隊の同士討ちである。 竜騎士の攻撃も残存している王党派の竜騎士が防いでくれている。 全ての状況を把握し彼は勝利を確信した。 だが、そこに歓喜の声はない。 作戦が成功しようとも彼等が生きて戻る事はない。 元より戻るべき港も主も失われた。 これが『イーグル』号にとって片道にして最後の航海となるのだ。 「…すまんな。出来ればお前とはもう少し冒険したかったんだが」 まるで長年連れ添った親友に話し掛けるように、副長は舵に優しく手を触れた。 そして同様に、自分に付き従った船員達に謝罪の言葉を述べる。 「お前達にも貧乏クジを引かせてしまったな。 もう引き返す事は出来んが…」 「副長、何を言われるかと思えば…。 諸悪の根源を討ち滅ぼせる大任、他の誰に譲れましょうか」 「左様。主の仇討てずに何を以って騎士を名乗れというのですか」 「それに、船と運命を共にするのは船乗りの宿命ですよ」 「このまま引き返して本当の海賊になるのも悪くないですがね」 口々に副長に反論する朗らかな声があちこちから聞こえる。 今から死にに往くとは思えぬ輝いた瞳。 中には手傷を負いながらも笑い飛ばす者もいる。 長年苦楽を共にしてきた戦友達の頼もしい姿に、 緊張に固くなっていた副長の頬も綻ぶ。 そして決意を込めた眼で彼は見上げた。 自分達の直上に存在している敵を…! 「『ロイヤル・ソヴリン』! 王権の名を冠する船よ! 我等と共にあるべき御方の元へ逝こうぞ!」 『イーグル』号の舵が大きく切られる。 遺された者達に受け継がれたウェ-ルズの作戦が決行される…!